Facebook
Twitter
RSS

第95回

231〜232話

2021.08.06更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら

24‐1 歴史上のことを挙げて会話を楽しむ


【現代語訳】
昔、逢蒙が弓術を羿という名人に学んだ。逢蒙は、弓術をすっかり学び尽くして、天下中で自分に勝るのは、羿だけであると思った。そこで、機会を見つけて、逢蒙は羿を殺してしまった。これについて孟子は言った。「このことには、羿にもまた罪があります」。すると公明儀は言った。「羿には、ほとんど罪はありますまい」。孟子は言った。「罪は薄いというだけです。どうして罪がないといえるでしょうか(罪はあります)」。

【読み下し文】
逢蒙(ほうもう)(※)、射(しゃ)を羿(げい)に学(まな)ぶ。羿(げい)の道(みち)を尽(つ)くして、思(おも)えらく、天下(てんか)惟(ただ)羿(げい)のみ己(おのれ)に愈(まさ)れりと為(な)す。是(ここ)に於(おい)て羿(げい)を殺(ころ)せり。孟子(もうし)曰(いわ)く、是(こ)れ亦(また)羿(げい)も罪(つみ)有(あ)り。公明儀(こうめいぎ)(※)曰(いわ)く、宜(ほとん)ど罪(つみ)無(な)きが若(ごと)し。曰(いわ)く、薄(うす)しと云(い)うのみ。悪(いずく)んぞ罪(つみ)無(な)きを得(え)ん。

(※)逢蒙……羿は有窮(ゆうきゅう)国の君(夏王朝にそむいた諸侯の一人)で、逢蒙はその家臣とされている。
(※)公明儀……孟子の尊敬した魯の賢人。前の滕文公(上)第一章、滕文公(下)第三章、九章に出てくるが、孟子の大先輩であり、二人の会話と見るのは難しいとの説もあるが、かなりの年上としても少しは重なって生きており、会話はあったとする説が通説である。ここでは通説に従っている。

【原文】
逢蒙、學射於羿、盡羿之道、思天下惟羿爲愈己、於是殺羿、孟子曰、是亦羿有罪焉、公明儀曰、宜若無罪焉、曰、薄乎云爾、惡得無罪。

 

24‐2師だけではなく弟子、友人もきちんと選び、あるいは教えて変える


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「かつて鄭の国が子濯孺子を将軍にして衛の国に侵攻させました。これに対して衛は、庾公之斯にこれを追い払うよう命じました。子濯孺子が言いました。『今日、あいにく病気になってしまい、弓を取ることができない。私は死ぬことになろうな』と。そして、戦車の御者に尋ねました。『私を追ってくる者は誰か』と。御者は、『庾公之斯です』と答えました。すると、子濯孺子は言いました。『これは、助かったな、私は命拾いをするぞ』と。御者は、『庾公之斯は衛の弓の名手です。それなのに命拾いするだろうと言われたのは、どういうわけなのでしょうか』と尋ねました。子濯孺子は言いました。『庾公之斯は、弓術を尹公之他に学び、その尹公之他は私に学んだ。尹公之他は、正しい人物である。だから彼が弟子や友とする人物も、必ず正しい人物を選ぶに違いない』と。間もなくして庾公之斯が追いついてきました。そして言いました。『あなたはどうして弓を取らないのですか』と。子濯孺子は答えました。『今日、私はあいにくと病気になってしまった。だから弓を取ることができないのだ』と。すると庾公之斯は言いました。『私は弓術を尹公之他に学びました。その尹公之他は、あなたに弓術を学びました(私はあなたの孫弟子になります)。ですからあなたの弓術の道をもってして、あなたを害することになるというのはしのびがたいものです。しかし、今日あなたを追ってきたのは、主君の命でやっている公事でもあります(私事ではないのです)。だから弓を取らないわけにはいきません』と言って、矢をぬき、それを車輪に叩きつけて矢じりを取り去り、(矢じりの取れた)四本の矢を射って、引き揚げました(このような話を羿と逢蒙の例にあてはめて考えると、逢蒙のような者を弟子にして、しかもその人間性を変えられなかった羿自身の罪も免れないということになろうかと思います)」。

【読み下し文】
鄭人(ていひと)、子濯(したく)孺子(じゅし)をして衛(えい)を侵(おか)さしむ。衛(えい)、庾公之斯(ゆこうしし)(※)をして之(これ)を追(お)わしむ。子濯(したく)孺子(じゅし)曰(いわ)く、今日(こんにち)我(わ)が疾(やまい)作(おこ)る。以(もっ)て弓(ゆみ)を執(と)るべからず。吾(わ)れ死(し)なんかな、と。其(そ)の僕(ぼく)に問(と)うて曰(いわ)く、我(われ)を追(お)う者(もの)は誰(たれ)ぞや、と。其(そ)の僕(ぼく)曰(いわ)く、庾公之斯(ゆこうしし)なり、と。曰(いわ)く、吾(わ)れ生(い)きん、と。其(そ)の僕(ぼく)曰(いわ)く、庾公之斯(ゆこうしし)は衛(えい)の射(しゃ)を善(よ)くする者(もの)なり。夫子(ふうし)曰(いわ)く、吾(わ)れ生(い)きん、と。何(なん)の謂(いい)ぞや、と。曰(いわ)く、庾公之斯(ゆこうしし)は、射(しゃ)を尹公之他(いんこうした)に学(まな)ぶ。尹公之他(いんこうした)は、射(しゃ)を我(われ)に学(まな)ぶ。夫(か)の尹公之他(いんこうした)は、端人(たんじん)(※)なり。其(そ)の友(とも)を取(と)ること、必(かなら)ず端(たん)ならん、と。庾公之斯(ゆこうしし)至(いた)る。曰(いわ)く、夫子(ふうし)何(なん)為(す)れぞ弓(ゆみ)を執(と)らざる、と。曰(いわ)く、今日(こんにち)我(わ)が疾(やまい)作(おこ)る。以(もっ)て弓(ゆみ)を執(と)るべからず、と。曰(いわ)く、小人(しょうじん)は射(しゃ)を尹公之他(いんこうした)に学(まな)ぶ。尹公之他(いんこうした)は、射(しゃ)を夫子(ふうし)に学(まな)ぶ。我(われ)夫子(ふうし)の道(みち)を以(もっ)て反(かえ)って夫子(ふうし)を害(がい)するに忍(しの)びず。然(しか)りと雖(いえど)も今日(こんにち)の事(こと)は、君(きみ)の事(こと)なり。我(われ)敢(あえ)て廃(はい)せず、と。矢(や)を抽(ぬ)き輪(わ)に叩(たた)き、其(そ)の金(かね)(※)を去(さ)り、乗矢(じょうし)(※)を発(はっ)して而(しか)る後(のち)に反(かえ)れり。

(※)庾公之斯……衛の将軍。儒家の経典の一つである『左伝』では、庾公斯とある。
(※)端人……正しい人。
(※)金……矢じりのこと。

(※)乗矢……四本の矢。四頭立ての馬車を一乗とするところから、四つ一組のものを「乗」と言う。なお、孟子は、羿は逢蒙のような者を弟子としたこと自体を批判しているとするのが、これまでの一般的な解釈だが、一方で、「来る者は拒まず」というのが孟子の主義であることを述べている(尽心〈下〉第三十章)。ここからすると、逢蒙の人間性を変えられなかった点も含めて批判していると解する。


【原文】
鄭人、使子濯孺子侵衞、衞、使庾公之斯追之、子濯孺子曰、今日我疾作、不可以執弓、吾死矣夫、問其僕曰、追我者誰也、其僕曰、庾公之斯也、曰、吾生矣、其僕曰、庾公之斯衞之善射者也、夫子曰吾生、何謂也、曰、庾公之斯學射於尹公之他、尹公之他學射於我、夫尹公之他端人也、其取友必端矣、庾公之斯至曰、夫子何爲不執弓、曰、今日我疾作、不可以執弓、曰、小人學射於尹公之他、尹公之他、學射於夫子、我不忍以夫子之衜反害夫子、雖然今日之事、君事也、我不敢廢、抽矢叩輪、去其金、發乘矢而後反。


【単行本好評発売中!】 
この本を購入する

「目次」はこちら

シェア

Share

感想を書く感想を書く

※コメントは承認制となっておりますので、反映されるまでに時間がかかります。

著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

矢印