第9回
昼食はワインから
2019.12.02更新
科学ジャーナリストが見た、注目のケア技法「ユマニチュード」の今、そして未来。『「絆」を築くケア技法 ユマニチュード』刊行を記念して、本文の第1章と、日本における第一人者・本田美和子氏インタビューを特別公開! 全18回、毎週月曜日(祝日の場合は火曜日)に更新します。
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お昼になった。昼食の様子を見学する。食堂は1階。赤系の布のクロスがかかった丸や四角い食卓が並び、入居者が席についている。食卓にはテーブルセッティング。紙ナプキンの右にはスプーンとナイフ、左にはフォークが置いてある。上にはデザート用だろうか、小さなスプーン。背の低いグラスと足つきの背の高いグラスが1つずつ。食卓の中央には塩やこしょうの瓶、ケチャップやマスタード。まるでレストランのようである。壁沿いに歩行器が並んでいること、車椅子の人が多いことが、かろうじて介護施設らしさを感じさせる。
日本からの参加者が感嘆の声を上げた。何人かの入居者のグラスに赤ワインが入っていたのだ。こちらでは昼食にワインを飲む習慣がある。給仕係のスタッフが食卓を回り、グラスにワインを注ぐ。おかわりも自由。「3杯目になると、飲みすぎないよう伝えますが」と看護部長のソフィーさん。
昼食と夕食は全員が食堂で食べるのが基本。部屋で食事をすることも可能だ。食堂で各自が座る席は自由だが、入居時に2ヶ所のテーブルを提案して選んでもらう。その後はだいたいみな同じ場所を選んで座るという。食欲がない、栄養が足りない、入居したばかりで食が進まない、など食事に課題がある人は専用の席に招き、スタッフが励ましながら食事をする。交流を通じて楽しい時間を過ごすことが目標だという。
専用席に女性と男性が1人ずつ座っている。男性は入居したばかり。女性は今朝の朝食が進まなかったため招かれた。スタッフが女性の手を取り、話しかける。女性は80代くらいだろうか。絣のような模様のついたブラウスを着て、ふさふさの白髪はきれいに整えられている。左手の薬指には金の指輪。スタッフの目をしっかりと見て、かすかに微笑んでいる。「今日はたくさん人が来ているでしょう」とスタッフ。「いろいろ書いているみたいね」と女性。「彼らに何を伝えましょうか」と尋ねられ、女性が「うまくいっているのよ」と答えた。「それいいですね」。
「今日は一緒にお料理を全部食べましょうね。おいしいものがたくさんあります。ポタージュもありますし、野菜も」。スタッフの話に「私、何でも好きなのよ」と女性が返す。「じゃあ、全部食べられますね。お肉、パン」「そんなにたくさんあるの?」「チーズもありますよ」。
スタッフが飲み物を勧める。「飲み物はワインがいいですか。少しね。赤? 白?」。「白はいや」と女性が答えると、「アルザスの白ワイン嫌いなんですか」とスタッフ。「飲んだことないの、ちょっと味見をしたくらい」「赤ワインの方が好きなんですね。赤ワインにしましょうか。たくさん食べましょうね」。出身地の話、周りで見ている日本人について、アルザスの料理の話、好きな食べ物の話、今日のメニューの話、女性の服の話と会話が続く。
厨房に案内された。20~30畳はあるだろうか。ステンレスの調理台が並ぶ本格的な厨房だ。食事は外部の業者に委託し、施設の希望を取り入れてすべて厨房で調理してもらっている。調理員は午前2人、午後2人。食器洗い専門スタッフが1人。前日にだいたいの準備を済ませておき、直前に必要な調理をしている。下処理からすべての作業を施設内で行っているという。
厨房で特別食を見せてもらった。認知機能が衰えたり、飲み込みが悪くなったりしたために普通の食事をすることが難しくなっている入居者のための食事だ。ケーキ状に固めた「適応食」とペースト状の「ミックス食」の2種類がある。適応食は、フォークやスプーンを使えない人のために手で食べられるように工夫した食事。その日のメニューを1品ずつすりつぶし、型に入れてケーキ状に固めてある。ミックス食は、咀嚼や飲み込みが悪くなっている人向けのペースト状の食事だ。この日は適応食が5人分、ミックス食が9人分用意されていた。食事の内容により、入居者が食べられるものと食べられないものがあるため、毎週、翌週のメニューを見て、適応食とミックス食を決定しているという。食べられないものだけを適応食やミックス食にするため、人によってはその日は主菜が特別食、次の日は副菜が特別食という人もいる。「だから同じ人が毎日ずっとミックス食というわけではないんです。普通に食べられるものはなるべく普通食にしています」とソフィーさん。
メニューは、昼は前菜、主菜、チーズ、デザート。この日の昼食は、前菜がポタージュ、主菜がお肉だった。夜はスープ、主菜、デザートのコースか、ハムとソーセージの盛り合わせか、カフェオレとパンかの3種類から選べる。「こちらの地方では夜に朝ご飯と同じようなものを食べる人がいるので、選択できるようにしています」。夜の間は、お茶やコーヒー、パン、ジャム、チーズなどを必要な人に提供する。
壁に色とりどりの付箋のような紙が貼られていた。アレルギーや嫌いなものがあるために、入居者が食べられないものを食材別に表示してあるのだという。食べられないものがメニューにある場合には、代わりのものを出す。例えば、魚が嫌いなら肉、人参が嫌いならインゲン豆というように。「すごい」との参加者の声に、「個別化です。ケアから食事まですべて本人に合わせるということを実践しています」とソフィーさんが答えた。
食堂に戻るとすでに食事が佳境に入っていた。保温機能が付いたステンレスの台車に主菜と付け合わせが入っていた。この日のメニューは、ポタージュ、鶏肉とキノコのクリーム煮、マッシュポテト、薄切りにして茹でた人参。好きなだけ食べられる。
食堂の後ろの方に、介助が必要な入居者たちの食卓が集まっていた。車椅子のまま食卓につき、黒いエプロンを身につけたスタッフが横についている。うつむいて動かない人、あまり食べていない人もいる。ソフィーさんが気づき、スタッフに声をかけた。
入居者の食事の状況を記録する評価シートを見せてもらう。食事の目標、介助や励ましの必要性、食べ物の好き嫌い、アレルギーの有無などが1人ずつ記録されている。飲む水も炭酸入りか炭酸なしかまで書いてある。日本で言えば、食事のときに飲みたいのは緑茶かほうじ茶かのようなものだろうか。その日食べた量や内容、好みを書き入れる欄もある。ファイルは台車の上に置かれ、参照したり記録したりできるようになっている。情報を共有することで、すべてのスタッフが同じ質のケアを提供できるようにしているとソフィーさんは話す。食事を通じて目指しているのは「入居者が自己表現することができるようになること」。なるほど。食事は栄養を満たす手段としてではなく、自己を表現する手段なのだ。その理念が、食卓の演出、食事の内容、スタッフの関わりにまで反映されているからこそ、この昼食の場が実現されているのだろう。ソフィーさんによれば、それは日常のケアも同じだという。つまり、ここでは生きることは自己を表現することなのだ。
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