第8回
スタッフも入居者と一緒に朝食をとる
2019.11.25更新
科学ジャーナリストが見た、注目のケア技法「ユマニチュード」の今、そして未来。『「絆」を築くケア技法 ユマニチュード』刊行を記念して、本文の第1章と、日本における第一人者・本田美和子氏インタビューを特別公開! 全18回、毎週月曜日(祝日の場合は火曜日)に更新します。
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ホットプレートでパンケーキを焼くスタッフと談笑。
8時半過ぎ、朝食会場は人影がまばらになっていた。入居者の第一陣が一段落したようだ。スタッフがパンケーキを焼いている。オレンジジュースを搾るジューサーの音が響く。スタッフも入居者とともに朝食を一緒に食べ始めた。日本の参加者からは「一緒に食べるんだ」と驚きの声。私たちも勧められ、飲み物をいただく。モースさんが介助を受けながら、フルーツサラダを食べ、オレンジジュースを飲んだ。しばらくするとお腹がいっぱいになったのか、うつむき、目をつぶってしまった。
ジネスト氏が参加者にこう言った。「誰もマスクをしていないでしょう」。確かに誰もマスクをしていない。他の施設とは違うと言いたいようだ。ユマニチュードの観点からはマスクは好ましくないということらしい。日本ではマスクをしているのか? 日本の介護施設に勤めている参加者に聞いてみた。「してますね。感染予防です。スタッフが自分の身を守るためにマスクをしています」。感染予防は必要だろう。しかし、働いている人がみなマスクをしているのも不気味な気もする。それに高齢者の立場で考えれば、終の棲家でマスクをした人に毎日ケアをされるのは嫌かもしれない。自分が入居していたら? ばい菌扱いされているように感じるかもしれない。
時刻は10時近く。スタッフがジネスト氏にケアの相談をしている。脚に拘縮がある入居者にどう起きてもらうか。立位補助機、移乗のシート、シーツなどいくつかの案を検討した。この日はいつものようにシーツで身体を起こし、座った状態から人が補助して椅子に移ることに。次は人の前で裸になるのを嫌がる入居者のケアをどうするか。嫌がるので保清のケアはしていないという。ジネスト氏は次のように助言した。本人がきれいにして欲しければ言うだろう。この施設に来てから部屋から出られるようになり、良くなっている。無理にやらなくていい。ジネスト氏はその上で、本人へのケアの勧め方を提案した。「私もあなたと同じ考えです。私だったら嫌です。全く同じです。ネグリジェを着たままやってみましょう、と言うのはどうですか」。スタッフの目が輝く。「それいいアイデアですね!」。
朝のケアを垣間見て印象に残ったこと、それは自律だ。何をするのかは本人が決める。スタッフは、するかしないか、どのようにするかを尋ねる。まだ寝ていたいと言われたらケアは後にする。裸になりたくないと言うなら、無理に保清はしない。ひげをそりたくないならそらない。ここでは入居者の希望が尊重されている。人を直接援助しているように見えるが、実は希望を表明すること、選択することを援助しているのである。
そして同時に感じたこと。それは諦めない、ということだ。反応が乏しい人に話しかけ続ける。無理はしないと伝えながら、立つことを提案する。シャワーが嫌なら、別の方法を提案する。希望を尊重することと一見矛盾しているように見えるが、実は同じだということに気がついた。諦めないのはケアではなく「関係」なのだ。予定していたケアは諦めても、その人との関係は諦めないのである。
10時過ぎ。入居者は午前の自由時間を楽しんだり、アクティビティに参加したりしている。玄関近くのホールには、椅子や車椅子に座って休んでいる人もいる。モースさんがいた。日本からの参加者が話しかけるが反応がない。ジネスト氏が近づき、ひざまずいて顔を寄せ、話しかける。もう一度歩く練習をするようだ。「オッケー?」。オディールさんと両側から支え、立つ。「一歩、一歩」。ジネスト氏が声をかけると、左右の足が前に出た。膝と腰は曲がっているが、歩いている。車椅子に座る。歩けたのは10歩。ジネスト氏が男性に話しかけ、再度立ち上がる。「モースさん、立ってください」。次は3歩で椅子へ。モースさんが目を開け、瞬きをしている。スタッフが顔を近づけ話しかける。瞳を動かし、スタッフの顔を見た。歩くことで意識がはっきりしてきたのだろうか。話しかけ続けるスタッフ。関係を諦めないケアが続く。
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