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京都の庭園デザイナーが案内 しかけに感動する「京都名庭園」 烏賀陽 百合

第8回

~神のいる場所に作られた庭~ 白龍園

2018.06.04更新

読了時間

【 この連載は… 】 元来、神社仏閣や日本庭園巡りは年齢層の高い人たちの趣味とされてきましたが、昨今ではSNSが身近になり幅広い世代が楽しんでいます。なかでも1200年の歴史がある京都はこの町でしか見ることのできない景色が残っており、そのひとつである日本庭園に4は様々な見どころがあります。本連載では、京都在住の庭園デザイナー・烏賀陽百合氏による、石組や植栽などの「しかけ」に注目して庭園を楽しむ方法を紹介します。

京都・ニノ瀬で昔から霊域とされていた安養寺山(つつじ山)一帯を、1962年、アパレル会社・青野株式会社の創業者である故・青野正一(あおのしょういち)氏が購入。自ら整地・施工し1963年、白髭大神と八大龍王を祀る祠と大鳥居を建て白龍園とした。現在、春と秋に限定公開されている。

庭を通じて触れる自然の神性

 「車輪の下」で知られる、ドイツの詩人で作家のヘルマン・ヘッセ(1877~1962年)。1946年にノーベル文学賞を受賞した偉大な文学者だが、彼は「危機の詩人」と呼ばれ、精神病に苦しみながらも自己のアイデンティティを求めた人だった。

 そんな彼が愛し、心の拠りどころにしていたのが「庭仕事」だった。庭や植物に関する彼の作品をまとめた「庭仕事の愉しみ」という本には、彼がガーデニングを通して見た自然の美しさや摂理、そして穏やかな日常が綴られている。彼は庭のある生活をこう述べる。

「その生活は、精神的でも英雄的でもないけれど、まるで失われた故郷のように、あらゆる精神的な人間とあらゆる英雄的な人間の心をその本性の核心でひきつける。なぜなら、それは最古の、最も長く存続する、最も素朴で最も敬虔な人間の生活だからである。つまり土地を耕作する者の生活、勤勉と労苦にみちてはいるけれど、性急さがなく、本来憂慮というもののない生活なのだ。なぜならば、その生活の根底をなすものは、信仰であり、大地、水、空気、四季の神性に対する、植物と動物の諸力に対する信頼だからである」

 この文章を読んだ時、私の心に思い浮かぶ庭園があった。それは二ノ瀬の山中にある白龍園(はくりゅうえん)。ここも、大地、水、空気、四季の神性や信仰を感じる場所だ。

二ノ瀬の山が借景となった秋の白龍園。

 白龍園に流れている空気は特別だ。いつ来ても清涼で、澄んでいる。そして二ノ瀬の山を借景にした風景は本当に美しい。春は、桜やミツバツツジ、猩猩袴(しょうじょうばかま)の花々が咲き、ピンクの濃淡が庭を彩る。桃源郷という言葉がぴったりだ。初夏の青もみじは生き生きとして、植物の生命力や光の眩しさに心が躍る。秋は真っ赤に色付いた大楓の紅葉を見るだけで、心満たされる。冬は一面の雪景色に、静かに春を待つ木々の姿が美しい。

冬の白龍園。庭園に誘う延段の石の雪が溶け、モザイク画のよう。

白蛇の姿で現れた神様

 白龍園の歴史は、京都の老舗アパレル会社・青野株式会社の初代社長、故・青野正一(あおのしょういち)氏が1962年に二ノ瀬の山を購入するところから始まる。売却に困っていた当時の持ち主に請われ、人助けと思い、雑木林と笹に覆われたこの山を購入。地元の人から「えらいもん(とんでもないもの)を買わはりましたな」と言われたほど、荒れた土地だった。しかし山の中に入ってみると、100年以上も放置された祭祀の痕跡が見つかった。すでに息子さんに会社を譲って引退していた青野氏は、神の啓示でも受けたかのようにこの場所に祠(ほこら)を建立し、神社を復興することを決心する。

 1963年に神社が完成。「白髭大神」という不老不死の神様と、「八大龍王」という商売繁盛の神様をお祀りし、両方の神様から名前を取って「白龍園」と名付けた。

清涼な空気と水が流れ、神聖さを感じさせる白龍園

 神社復興後も青野氏は精力的に庭園の造営を行った。雨が降っても毎日現場を訪れ、庭づくりを行う。驚くことに造園会社の力は一つも借りていない。すべて青野氏と社員の手で山を切り開き、整地し、植栽を行っている。重機が運び入れられなかったため石は人力で運び、石垣、階段、延段を作った。東屋も青野氏の設計、手づくりだ。

 一番最初からここの庭づくりに携わっている水相敏孝(みずあいとしたか)さんは、79歳の今も現役の庭師として50年以上、白龍園を守っておられる。水相さんは「先代(青野正一氏のこと)はまるで何かに取り憑かれたように、毎日庭づくりをされていました」と語る。

 それまでアパレル会社の社長だった人が、急に庭づくりを始めた理由ははっきり分からない。現在のオーナー、青野正一氏のお孫さんで3代目の青野雅行(あおのまさゆき)社長は「すべては信仰心からだったんだと思います」と語る。「祖父は特別な宗教を信じていたわけではありませんが、白龍園の神様はとても大事にしていました。一度庭に白蛇が出た時に、祖父が追い払おうとして石を投げたところ蛇に当たりました。そうしたらまったく同じ時間に、公園で私の兄が友達から石を投げられて怪我をしたんです。それを祖父は自分の責任のように感じて、反省していたそうです」

春の白龍園。左手に見えるのは青野正一氏遺愛の七重塔。

人々の心が庭の美を作る

 ここの苔は本当に美しい。今も7人の庭師さんが手で雑草を抜き、落ち葉も手で拾っておられる。その丹精込めたお手入れのお陰で、ここの苔はいつもキラキラと輝いている。そして山に生える山野草も大切にしておられる。珍しいものはヒカゲノカズラという多年草のシダ植物。地表に沿ってどんどん伸びる植物で、茎を切っても緑色が失われないので、昔から縁起の良い植物として祭儀などで使われた。天照大神が天岩戸に閉じこもった時、踊りを舞ったアメノウズメはこの植物を素肌にまとったとされている。お茶の初釜の時に、3メートルほどもある長いヒカゲノカズラが床の間に飾られることもある。

敷き詰められた苔に桜の花びらが散る。

 また高野箒(こうやぼうき)というキク科の低木は、高野山で枝を束ねてほうきとして使われていた植物。空海の教えで、高野山では僧侶がお金儲けをしないように果樹や竹の栽培が禁じられていた。そこで、竹の代わりにこの高野箒が使われていた。山野草を知ると、日本人に長く慈しまれてきた植物の歴史が分かる。ここではそんな植物が沢山見られるので、とても楽しい。

 東屋から眺める額縁の景色も良い。白龍園では借景の景色を大切にするため、塀などを作っていない。背景の山々の景色も庭に取り込まれ、年中美しい景色が広がる。

園内の東屋・福寿亭から見た白龍園。二ノ瀬の山並みの借景が景色に彩りを与える。

 青野社長をはじめ、水相さん、庭師さん達、お茶屋で働くスタッフの方々、ここで働いておられる人はいい方ばかりだ。長く勤めておられる方も多い。この白龍園を守っていくことに、皆さんが誇りを持っておられる。水相さんは今も故青野正一氏のことをこう話される。「私は先代にとてもお世話になりました。可愛がってもらい、沢山のご恩を受けた。だから先代の想いが詰まったこの庭を大切にしていきたい。沢山の人に訪れてもらって、先代もきっと喜んでおられると思います。ほんまおおきに」。そして水相さんは、くしゃっと人懐っこい笑顔を浮かべる。

 青野社長も、「ここを公開した理由の1つは、長年この白龍園を守り、綺麗にしてくれている水相さんへの感謝の気持ちからです。水相さんが生涯かけてやってきはったことの発表の場やと思ってます」と優しい笑顔で話される。心の美しい人が、美しい場所を作れるのだ。

 ヘルマン・ヘッセは1955年、友達に宛てた手紙の中でこう書いている。「土と植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように、魂を解放し、休養させてくれます」。青野正一氏も、きっと同じような気持ちで白龍園の庭づくりに没頭したのではないだろうか。ここに来ると魂が解放され、瞑想するような静かな気持ちになれる。ゆっくり深呼吸すると、澄んだ空気で心が満たされる。

 そして美しい景色を見て、こう想う。ここは神様に守られた場所なのだ――

鶯亭から望む秋の白龍園。紅葉が錦色に色づく。

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著者

烏賀陽 百合

京都市生まれ。庭園デザイナー、庭園コーディネーター。同志社大学文学部日本文化史卒業。兵庫県立淡路景観園芸学校、園芸本課程卒業。カナダ・ナイアガラ園芸学校で3 年間学ぶ。イギリスの王立キューガーデンでインターンを経験。2017年3月にN Yのグランドセントラル駅構内に石庭を出現させ、プロデュースした。現在東京、大阪、広島など全国のNH K文化センターで庭園講座、京都、鎌倉でガーデニング教室を行う。また毎日新聞旅行で庭園ツアーも開催。著書に『一度は行ってみたい 京都絶景庭園』(光文社)がある。

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