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第20回

55〜57話

2020.01.23更新

読了時間

 「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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55 足るを知る者は富む


【現代語訳】
贅沢をしていると、どんなにお金があっても満足することはできなくなる。しかし、これではつつましくしている人が、心にゆとりを持って生きているのに及ばないということになる。能力のある人は、あくせくと苦労を重ねているにもかかわらず、人のうらみを集めることが多い。しかし、これでは能力のない人が、気ままに楽しみつつ自分の人生を生きていることに及ばないことになる。

【読み下し文】
奢(おご)る者(もの)は富(と)みて而(しか)も足(た)らず。何(なん)ぞ倹(けん)なる者(もの)(※)の貧(ひん)にして而(しか)も余(あま)り有(あ)るに如(し)かん。能(のう)ある者(もの)は労(ろう)して而(しか)も怨(うら)みを府(あつ)む(※)。何(なん)ぞ拙(せつ)なる者(もの)(※)の逸(いつ)にして而(しか)も真(しん)(※)を全(まっと)うするに如(し)かん。

(※)倹なる者……つつましくしている者。倹約して生活をしている人。なお、『老子』の辯德第三十三は、「足るを知る者は富む」という。拙著では「足るを知る人は富む(現実を愛し、現状に幸せを見つける人こそが豊かな人である)」と訳している(拙著『全文完全対照版 老子コンプリート』辯德第三十三参照)。本項の趣旨に合う教えである。
(※)府む……集める。
(※)拙なる者……能力がない者。
(※)真……天真で自然。本性のまま。自分の生き方をしている。

【原文】
奢者富而不足。何如儉者貧而有餘。能者勞而府怨。何如拙者逸而全眞。

56 世のなかに役立たない事業は結局成功しない


【現代語訳】
書を読んでも聖賢の真意がわからなければ(著者の意図が読み取れないと)、文字の奴隷(かっこつけの読書)にすぎなくなる。役人になっても住民のことを愛し、そのための仕事をしない者は、給料泥棒にすぎなくなる。学問、勉強を教えても理屈ばかり立派で自ら実行しない者は、口先人間にすぎなくなる。事業を起こしても私利ばかり追い世のなかに役立つことを考えない者は、結局、成功せずに終わる。

【読み下し文】
書(しょ)を読(よ)みて聖賢(せいけん)を見(み)ざれば、鉛槧(えんざん)の傭(よう)(※)と為(な)る。官(かん)に居(お)りて子民(しみん)を愛(あい)せざれば、衣冠(いかん)の盗(とう)(※)と為(な)る。学(がく)を講(こう)じて躬行(きゅうこう)を尚(たっと)ばざれば、口頭(こうとう)の禅(ぜん)(※)と為(な)る。業(ぎょう)を立(た)てて種徳(しゅとく)(※)を思(おも)わざれば、眼前(がんぜん)の花(はな)(※)と為(な)る。

(※)鉛槧の傭……鉛は字を書くために使う鉛の粉、槧は字を書く板、傭は奴隷のことを指すため、「文字の奴隷」といった意味になる。かっこつけの読書。福沢諭吉は、『学問のすゝめ』の第二編で次のように述べている。「文字(もじ)を読(よ)むことのみを知(し)りて物事(ものごと)の道理(どうり)をわきまえざる者(もの)は、これを学者(がくしゃ)と言(い)うべからず。いわゆる『論語(ろんご)読(よ)みの論語(ろんご)知(し)らず』とはすなわちこれなり」。ここの「学者」とは前集44条、57条、61条の「学者」、あるいは「学ぶ者」と同じように「学んで人間的に向上しようという者」「学び修行して自分を正しく成長させていこうとする者」という意と解してよいだろう。また、西郷隆盛も「文(ぶん)は鉛槧(えんざん)に非(あら)ざるなり。必(かなら)ず事(こと)を処(しょ)するの才(さい)あり」(『西郷南洲翁遺訓』)と述べている。本書前集60条の注釈参照。
(※)衣冠の盗……給料泥棒の役人。
(※)口頭の禅……口先人間。理屈だけ立派で実際に修行、研究していない禅。
(※)種徳……後世のために徳の種をまく。世のなかに役立つことをする、考える。
(※)眼前の花……目先だけの花。結局、成功しない。

【原文】
讀書不見垩賢、爲鉛槧傭。居官不愛子民、爲衣冠盜。講學不尙躬行、爲口頭禪。立業不思種德、爲眼歬芲。

57 自分のなかには本来すばらしい教えや芸術性が備わっている


【現代語訳】
人の心のなかには、本来、一冊のすばらしい文章があるにもかかわらず、いい加減な知識の断片の文章によって封じ込められている。また本来、一組の立派な音楽が備わっているにもかかわらず、あやしげな歌や踊りでかき消されている。学び修業して自分を正しく成長させていこうとする者は、こうした余計な誘惑や夾雑物(きょうざつぶつ)を払って、自分のなかにある本来の正しくてすばらしい文章や音楽を、求めていくべきである。そうして、はじめて自分自身の真の使い道がわかるようになる。

【読み下し文】
人心(じんしん)に一部(いちぶ)の真文章(しんぶんしょう)(※) 有(あ)れども、都(すべ)て残編断簡(ざんぺんだんかん)(※)に封錮(ふうこ)(※)し了(おわ)らる。一部(いちぶ)の真鼓(しんこ)吹(すい)有(あ)れども、都(すべ)て妖歌艶舞(ようかえんぶ)に湮没(いんぼつ)し了(おわ)らる。学(まな)ぶ者(もの)は須(すべか)らく外物(がいぶつ)を掃除(そうじょ)して、直(ただ)ちに本来(ほんらい)を覔(もと)むべく、纔(わず)かに個(こ)の真受用(しんじゅよう)(※) 有(あ)り。

(※)一部の真文章……一冊のすばらしい文章。「文章」については本書の前集102条、147条参照。立派な書物。本項を読むと『孟子』の性善説が思い起こされる。例えば、「万物(ばんぶつ)皆(みな)我(われ)に備(そな)わる。身(み)に反(かえり)みて誠(まこと)なる、楽(たの)しみ焉(これ)より大(だい)なる莫(な)し」(尽心上篇)、「人(ひと)皆(みな)忍(しの)びざる所(ところ)有(あ)り。之(これ)を其(そ)の忍(しの)ぶ所(ところ)に達(たっ)するは、仁(じん)なり」(尽心下篇)など参照。なお、『論語』では、「文章」とはその人に具体的に表れた徳や礼楽を意味するところがある(公冶長第五参照)。「文」については本書の後集55条参照。
(※)残編断簡……いい加減な知識の断片の文章。
(※)封錮……封じ込められること。
(※)真受用……真の使い道。

【原文】
人心有一部眞文章、都被殘編斷蕑封錮了。有一部眞鼓吹、都被妖歌艷舞湮沒了。學者須埽除外物、直覔本來、纔有個眞受用。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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