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もっと文豪の死に様

第17回

三島由紀夫――未来の文豪、真名を得て新生す(第4回)

2023.06.23更新

読了時間

『文豪の死に様』がパワーアップして帰ってきました。よりディープに、より生々しく。死に方を考えることは生き方を考えること。文豪たちの生き方と作品を、その「死」から遠近法的に見ていきます。
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 初等科から高等科まで一貫して通った学習院ではスクールカースト最底辺の「しらっこ」だった三島だが、それでも成績抜群であったがゆえに高等科を首席で卒業した。
 ここでかの有名な銀時計のエピソードが出てくる。
 学習院は皇族のために作られた貴族学校であり、卒業式には天皇も臨席した。三島の年にも昭和天皇がお出ましになった。そして、成績優秀者に恩賜の銀時計を与えた。
 卒業式というと校長や来賓のクソ長ったらしい挨拶にうんざり、というのが定番だが、もちろん戦前の天皇はそのような場で長々とお言葉を述べられたりはしない。にこやかにお手振りをするなどますますありえない。
 まったく身じろぎもされずに、ただそこにおられた。
 玉座に“存在”するだけで放つ磁力に、三島の心は捕らわれた、という。
 これまた有名な三島と全共闘との討論会で、いささか照れくさそうに披瀝されたこの体験は、たしかにインパクト大だったのだろう。だが、それをもって彼の“右傾化”の発端とするのは早計だ。
 ここで彼が見たのは、人の形をとって現れた、彼の理想とする“祖先”であった。
 三島の天皇主義は軍国主義でも国家主義でもない。国粋主義というのも若干憚られる。ましてや今どきのネトウヨのような単細胞排外反動主義では決してない。
 だが、ある意味、三島は天皇に対して誰よりも不遜だったのではないか、という気がしている。というのも、彼にとって、天皇もまた「あらまほしき我」を構築するための一手段に過ぎなかったと感じるからだ。

“本来の衣装を身につける”ためのロング・ジャーニー

 平岡公威が“三島由紀夫”になったのは16歳の時だった。
 文章や詩は12歳の頃から校内誌で発表していたが、1941年(昭和16年)、雑誌『文藝文化』で「花ざかりの森」でデビューした際に、推薦者である教師や同誌の編集人などの勧めに従ってつけた名が“三島由紀夫”だった。彼らは、父・梓が“倅”の創作活動をよく思っていないことや、戦争中で優なるもの、柔なるものを排斥する風潮が強くなる一方であることなどを勘案し、ペンネームで発表するよう助言した。当初、公威少年は本名での公開を希望していたが、最終的には大人たちの意見に従った。
 私は、このエピソードに、彼という人を見る。
 公威少年は素直な子だった。大人には逆らわない。当初、本名でいきたいと意志を主張したのは、珍しいことだったのかもしれない。彼にとって文学は畢生の一大事だ。ここは我を通したかったところだろう。でも、最終的には聞き入れた。とても彼らしい。
 けれども、ここで“三島由紀夫”にならなければ、彼は文学者として大成しなかったかもしれない。
 名は体を表す。
 そう、三島由紀夫なる名は、彼の“体”を表している。
 大人たちが与えた三島由紀夫なる風雅な名。この名を見れば、誰だって白雪で化粧した富士の遠景を脳裏に浮かべるだろう。和歌にも詠まれる晴れやかな美景だ。
 同級生にとっては単なる「しらっこ」も、具眼の大人たちには日本屈指の景色になぞらえたくなるほどの才能だった。
 富士の姿は一見、優しい。
 裾野はゆるやかに広く、太宰治によれば「のろくさと拡が」っている。
 だが、実際の富士は言うまでもなく我が邦の最高峰であり、いかなる脈にも属さぬ孤峰である。麓は人を惑わす密林や地底から冷気を吹き出す洞窟など魔所が囲む。地下にはとうとうと伏流水が流れて周辺地に恵みをもたらす一方、富士の影に覆われるがゆえに不毛となる土地もある。頂上は雲をはるか下に見る荒涼とした厳しい神の領域だ。
 霊山として数々の伝説に彩られ、信仰の対象となり、芸術のアイコンにもなっている。
 許された季節には、修行者も観光登山客も、等しく受け入れる。けれども、冬ともなれば選ばれた者しか登攀できない。
 まるで三島文学、いや“三島由紀夫”そのものだ。
 あるいは、性質の芯に触れるこの名を付けられたことで、その通りの体になるべき運命を背負わされたのかもしれない。
 いずれにせよ、新たな名を得た少年は、名にふさわしい人格を構築する長い旅を始めることになった。
 そのスタートである「花ざかりの森」には、彼のロマンティシズムや古きものへの惜愛が詰め込まれている。処女作にはその作家のすべてが含まれるというが、軍国少年を育てる教育がなされていた戦時下で、内心にこんな幻想と哀愁に満ちた世界を宿していた少年が軍国脳筋であったはずがない。ましてやそれが後年の根幹になろうはずもない。
 後年の言動、そして悲劇を感じさせる要素は他にある。
「古き美しきなにか」への震えるような羨望だ。

 祖先がほんとうにわたしたちのなかに住んだのは、一体どれだけ昔であったろう。今日、祖先たちはわたしどもの心臓があまりにさまざまのもので囲まれているので、そのなかに住いを索(もと)めることができない。かれらはかなしそうに、そわそわと時計のようにそのまわりをまわっている。こんなにも厳しいものと美しいものが離ればなれになってしまった時代を、かれらは夢みることさえできなかった。いま、かれらは、天と地がはじめて別れあった日のようなこの別離を、心から哀しがっている。

 ここでいう祖先とは「オラがご先祖」ではない。
 太平洋の東端に連なる島々を「国」になるよう形造ってきた者たちが渾然一体となったいわば“国土の祖霊”だろう。後年、これの言い換えが「天皇」になったと思えば、彼の天皇主義の一端が見えるように思う。
 そして、祖霊は美しく清らかでなければならなかった。決して普通の人なんかであってはならないのだ。

ほんとうに稀なことではあるが、今もなお、人はけがれない白馬の幻をみることがないではない。祖先はそんな人を索めている。徐々に、祖先はその人のなかに住まうようになるだろう。ここにいみじくも高貴な、共同生活がいとぐちを有(も)つのである。
 それ以来祖先は、その人のなかの真実と壁を接して住むようになる。このめまぐるしい世界にあたっては、ただの弁証の手段でしかなかった真実が、それ本来の衣装を身につけるだろう。

 前半生を総括する作品としては「仮面の告白」が真っ先にあがるが、「花ざかりの森」は露悪趣味を手段とする韜晦(とうかい)のテクニックが確立されていないためか、工芸のような文章にかえって彼の飾らぬ心が垣間見える気がするのだ。
 これを少年らしい潔癖さ、と軽んずるならそれまでだ。
 しかし、この潔癖を、三島は終生失わなかった。それも幼い形を保ったままで。
 三島は純粋な人だった、とする証言は、彼を直接知る人々から頻繁に出てくる。そんな中で、私が三島の「純粋性」について一番納得したのは、美輪明宏氏のこの言葉だった。

三島さんの右翼も、軍隊も、一連の行動も、つまり『日本少年』や『少年倶楽部』の純粋な美学を通しただけなの。だから、一番純粋で清廉潔白で正義感にあふれていた、少年が大人になる前の少年のまま生きたいと、楯の会を作ったんですよ。あれは軍隊じゃない。皇室論も、思想的なものではなくて、自分たちの本家の理想的な家庭を見るようなつもりでの皇室観だったのね。(「すばる」2000年10月号 瀬戸内寂聴✕美輪明宏対談「今こそ語る三島由紀夫」より)

 新たに生まれた“三島由紀夫”には、公威少年が憧れながらも手の届かぬものと諦めていた「日本少年」への渇望が、すべてのアプリを制御するオペレーション・システムとしてプリインストールされていた。
 同時に、文学の力で平岡公威という存在を上書きし、「理想の男」を現出させようとする試みもすでに始まっている。
 たとえば、第二回で取り上げた父親による“スパルタ教育”は、作品内においてこんな風に塗り直される。

 父は町へつれて行ってくれるごとに子供ののぞみどおりにしばらく線路のそばの柵に立ってくれた。(中略)
 象がとおるたびに歓呼する南国の人のように、無愛想に電車がつきちがうたびに、子どもは父の腕のなかで跳ねてわらいながらめちゃくちゃに手を叩いた……

 たぶん、父から“スパルタ教育”を受けた公威くんは、自分はこんな反応をするべきである、と理解できていたのだ。それが父の望む「日本少年」のあるべき姿だと。
 けれども、できなかった。
 物心つく前から、子供らしくはしゃぐのはいけない、うるさくしてもいけない、と教え込まれていた子は感情の表し方がわからなかった。
 けれども、感情がなかったわけではない。むしろ感受性は人一倍鋭敏だったし、相手によって異なる最適な対処法を察するほどの賢さもあった。
 16歳の少年は、はじめて世に問おうとする作品ですでに「己の理想」を追い始めたのだ。

父の妨害 母の執念 子の決心

「花ざかりの森」は一部の文学者には驚きを以て好意的に受け入れられた。けれどもいきなり大注目されたかというと、そうでもない。
 発表三年後には、単行本として発行される幸運――あるいは当然の結果を得ることはできたが、反響はさほどではなかった、とされている。戦局が悪化する一方の時期だったのもあろうが、あまりにもロマンティックな若書きは汚れちまつた文士たちには甘すぎる菓子程度にしか映らなかったのだろう。
 後年の三島自身も「もう一つの戦時中の作品『花ざかりの森』を、これと比べて、私はもはや愛さない」とし、その理由として浪漫派の悪影響と若さゆえの気取りをあげている。なお、「これに比べ」のこれとは同じく戦中に書かれた「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」のことであり、こちらへは「後年の私の幾多の長編小説の萌芽が、ことごとく含まれていると云って過言ではない」とか「傾きかけた大日本帝国の崩壊の予感の中にいた一少年の、暗澹として又きらびやかな精神世界の寓喩がびっしりと書き込まれている」と自画自賛している。
 だが、私はきっぱり、「花ざかりの森」に軍配を上げる。というか、三島の自己評価はこの二作品において顛倒(てんとう)していると思う。「花ざかりの森」にこそ「後年の私の幾多の長編小説の萌芽が、ことごとく含まれていると云って過言ではない」からだ。
 だが、三島が「花ざかりの森」を遠ざけたかった理由もわからないではない。
「花ざかりの森」は、あまりに正直すぎる。職業小説家はおろか、新人小説家とすら呼べない時期の、包まない魂が差し出されている。私に言わせれば、死の前、四十代で書いた「憂国」の出来より何段も上だ。あの悪趣味なメロドラマなど足元にも及ばない清冽な香気が「花ざかりの森」にはある。
 しかし、しらっこ公威を葬り去りたかった三島にとって、それはとても不都合だったろう。できれば抹殺したかったかもしれない。けれども、一度出版された作品を消し去ることはできない。だからことさら冷淡に、自ら駄作の印を押したのだろう。
 また、あるいは、これを書いた頃の苦しい記憶も消し去りたいものの一つだったのかもしれない。
 この時期、父・梓は息子の創作活動を絶対に認めようとせず、書いたものを見つけたら問答無用で破く、という暴挙に出ていた。別に息子憎さでやったわけではない。むしろ、梓は一貫して過保護な父だった。過保護であるがゆえに、息子と文学とを引き裂こうとした。それが父としての義務であり、愛情だと考えていた。

僕としては倅をこんな製本屋の小僧に売り渡すことはできないのです。しかも当家一族は法学部出がきわめて多く、大家族を見廻してもただの一人も作家、芸能人はおりません。こんな雰囲気の中ですから、僕の主張は強いのです。(『倅・三島由紀夫』より)

 公威には、平岡家の長男として、立派な官僚になり、その道を極めてもらわなければならなかった。自分ができなかった出世を果たしてもらわなければならなかった。それが、梓が考える“男の花道”であり、幸せだった。文学など女の腐ったようなヤツがするもの。立派な“日本男児”になるためには、積極的に排除すべきものだったのだ。
 だが、そんな梓の行為を憎み、反抗するように公威を支えるものがいた。
 母・倭文重だ。

……公威が父に原稿を破られたときのことを、ときどきくり返して思い出します。真夜中に眠りもせず朝まで一生懸命に書いたせっかくの原稿を父に破られたとき、私が心配で後から部屋をのぞきますと、公威は一人で下を向いて目に涙をいっぱいためておりました。私は主人が本当に憎らしかったのでございます。(『倅・三島由紀夫』より)

 倭文重は、梓と違って文学に理解があった。というより、筋金入りの文学好きだった。だから息子が小説を書くのを喜ばしく思っていたし、梓の目を盗んでは原稿用紙を買ってやるなど、積極的に応援した。
 もちろん、それは間違いなく“母”の愛である。けれど、一度取り上げられた我が子に対する倭文重の愛は、あきらかに執着の色を帯びていた。本題から外れるのでここではふたりの母子密着ぶりを取り上げないが、単なる仲良し母子では済まないちょっと気持ち悪いぐらいの“愛情”が二人の間には揺れている。
 倭文重にとって、息子の応援は愛であると同時に、たった一人の理解者という立場を確固たるものとする好手段であり、そして平岡家への復讐でもあったのだろう。
 三島が小説家を目指したことに対する母の影響をことさら強調する論も見かけないではないが、私はおそらく、母の協力がなくても三島は小説家になっただろうと思う。なぜなら、彼は小説家になるしかないような人間だったからだ。選んで小説家になったのではなく、他に道なくして小説家になった。世の中には、書くことでしか救われない人間がいる。三島は確実にそれだった。
 だが、家族内に支援者がいるかどうかは重要だっただろう。母がいたからこそ、戦時中も通して三島が創作活動を続けられたのは間違いない。父には無表情を見せていたように、母には柔和な笑顔だけを見せていた。それが母への何よりの報いになると理解していたからだ。母はこの笑顔こそ息子の真実、と考えていた。けれど、母に与える笑顔もまた仮面のひとつだったろう。
 幼い頃からいくつもの仮面を使い分けてきた少年は、一度すべてをリセットして理想の自分になることで大人になろうとしていた。
 けれども、最初から掛け違いが続いたボタンはなおらず、歪みはどんどん大きくなっていった。次回は、その歪みを見ていこうと思う。

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