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多様性を「生きる」。違いを「楽しむ」。アフリカ人と結婚した文化人類学者が、いま考えること。 鈴木裕之

第22回

「差別」について

2019.08.19更新

読了時間

文化人類学者であり、国士館大学教授の鈴木裕之先生による新連載が始まります。20年間にわたりアフリカ人の妻と日本で暮らす鈴木先生の日常は、私たちにとって異文化そのものです。しかしこの連載は、いわゆる「国際結婚エッセイ」ではありません。生活を通してナマの異文化を体現してきた血の通った言葉で、現代の「多様性」について読み解いていきます。
「目次」はこちら

 この連載も、残すところあと2回となった。

 今回は「~について」シリーズの最終回として、「差別」をとりあげたい。

 これは、本エッセイの第1回目でも説明したように、この連載をはじめるきっかけとなったテーマである。当初、編集者からは差別をテーマとした連載を依頼されたのだが、ちょっと私には荷が重すぎると感じ、テーマを多様性に変更したのだった。

 今回、担当編集者へのリスペクトをもって、差別に関する意見を述べさせてもらおう。

私はシノワ


 差別は善いか悪いか?

 これは道徳的問題であり、意見の分かれるところである。

 では、差別はどこからくるのか?

 人はなぜ、差別するのか?

 これは道徳的問いの向こうにある、より根源的な問いである。

 はじめてアビジャンに行った年、私はある言葉に悩まされた。

「シノワ」-フランス語で「中国人」の意である。

 下町を訪ねると、数十人の子供たちに取り囲まれて、「シノワ、シノワ」と連呼される。その声には、図鑑で見たことがある動物をはじめて目にした時のようなある種の驚きと、喜びと、そしてなぜか自分たちより下等な存在に向けられた攻撃性のようなものが響いていた。

 事情通の友人に連れられて夜の街を見学にゆくと、たむろしているミニスカートのイケてるお姉ちゃんたちが、あきらかに侮蔑のニュアンスを込めて「シノワがきた」と囁きあう。

 ビジネス街で昼食をとろうとレストランに入ると、ネクタイ姿のビジネスマンが訳もなく「シノワ」とつぶやく。まるで縄張りを荒らされたことを憤慨するかのように。

 こうした経験を日常的に重ねることで、私は差別というものを肌で感じながら、そのメカニズムについて思いを巡らす時間を持つことができた。

 本連載の第16回でも述べたように、人は「分けて、群れて、安心する」動物である。かならず一定の社会的カテゴリーをつくりだし、そこに所属し、メンバーとしてのアイデンティティを持つ。

 この一定の枠組みをつくりだして、その枠内で他者とつながるプロセスは、同時に「われわれ」に対する「よそ者」をつくりだすプロセスでもある。誰かが仲間になるということは、誰かが敵になるということ。みんなと仲良くしていたら、いったい自分が何者かわからなくなってしまうではないか。

 アフリカで用いられるもっとも大きなカテゴリーといえば、「黒人」と「白人」ということになろう。この場合の白人は、もちろんかつてアフリカを植民地化したヨーロッパ系の白人である。

 その後、彼らの歴史に「アジア人」というあらたな人種が登場するのだが、とりあえず肌が黒くないので、おおまかには白人にカテゴライズされる。だが、ヨーロッパの白人とは違う、ということはあきらかである。

 じっさいにアフリカでアジア人が「目撃」されたのは、70年代にブームとなったブルース・リーらのカラテ映画(香港製カンフー映画もこう呼ばれる)を通してだったので、自然とアジア人全体を「シノワ」と呼ぶようになっていったのである。

序列化される人間


 ここまでは人を分けるというヨコの問題、つまり平面的な関係性である。

 次に問題となるのは、タテの問題、つまり垂直的な関係性だ。

 人間とは、どうやら物事を序列化したがる動物のようである。

 アフリカの歴史とは、白人に奴隷化され、植民地化された、蹂躙の歴史である。その過程で白人は自分たちを文明=「優」、黒人を野蛮=「劣」と序列化してきた。それゆえ、独立後のアフリカ諸国においては、ヨーロッパ式の近代システムを採用しながらも、黒人を真正性=「正」の側に、白人を非人道性=「誤」の側へと、その序列を逆転させることとなった。

 いずれにしても、アフリカにおいて白と黒というのは補完的存在であり、どちらを優/劣におくにせよ、この組み合わせによる世界を生きることとなる。白人をずる賢い抑圧者と捉えて憤慨する気持ちもあれば、遅れたアフリカを飛びだして進んだ白人の国でチャンスをつかみたいと思うこともあろう。

 そこにアジア人がやってきた。彼らをどう扱えばいいのだろう?

 第一の情報源であったカラテ映画を見てみよう。

 ブルース・リーの圧倒的な強さとジャッキー・チェンのユーモラスなカッコよさにみな夢中になった。だがそのヒロイズム以上にアフリカ人の目を引いたのは、奇妙な中国文化であった。

 その服装、立ち居振る舞い、細い目を宿した表情、そしてあの奇っ怪な言葉。

 私はよく「ヒーハー、ヒーハー」という意味不明の言葉を、例によって人を小馬鹿にしたようなニュアンスでもって投げかけられたが、それは「ニーハオ」がデフォルメされたものであった。

 アフリカの人々は、あきらかにアジア人を自分たちより劣った存在とみなすようになった。そしてあらたなる世界観をつくりだしたのである。

 基準となるのは自分たちの黒人世界。

 そこへヨーロッパの白人世界が、かつては「優」として、今では「誤」であるが一種の憧れとも結びつく世界として、隣接している。

 アメリカは白人世界というだけでなく、ポップカルチャーと黒人文化の震源地としての存在感も放っており、政治的には嫌われ者だが、文化的には人気者である。

 そして、自分たちからもっとも遠く、そしてあきらかに奇妙なアジア人の世界は序列の最下位に位置づけられることとなった。

差別か、認識か?


 さて、私は「シノワ」という言葉によって差別されていたのだろうか?

 そもそも、彼らに差別の意識はあったのだろうか?

 意識があろうとなかろうと、差別は差別だ。たしかにその通りではあるが、そう焦らずに、もう少しゆっくり考えてみよう。

 彼らがシノワを馬鹿にする理由のひとつは、自分たちからの距離であろう。

 世界の向こうからやってきたレアな人々。彼らはいったい、何をもたらしてくれるのか。

 カラテ。これは問題ない。東洋の武道がいかにアフリカの人々を熱狂させ、そのリスペクトを勝ちとってきたことか。かつて私も、アビジャンのストリート文化にカラテ文化が与えたインパクトについて紹介したことがある(拙著『ストリートの歌:現代アフリカの若者文化』世界思想社、参照)。

 それと同時に目立ったのが、その奇妙な文化だった。彼らは少ない情報からある種の「シノワ観」をつくりあげ、それをある者は確認しようとし(「シノワ」「ヒーハー」という呼びかけ)、別の者は拒否しようとした。

 もしかしたら、これは差別というより、「異人」を認識する過程なのではないだろうか。

 自分たちが歴史的に培ってきた世界の外側からやってきた異なる人々。彼らに対し、興味を持つと同時に、本能的に警戒し、ときに嫌悪するであろう。だがその気持ちは、異人に関する情報の量が増え、質が高まるにつれ、変化しうるものである。

 カラテ映画と並行して70年代から80年代にかけてもたらされたアジアの情報がある。日本の高度経済成長である。

 アジアの小国が、ヨーロッパの白人国家はおろか、一時はあのアメリカさえも経済的に抜いてトップに立った。アフリカの道路には日本車が溢れかえり、市場では日本製の電化製品が最高級品として売られるようになる。トヨタ、ホンダ、ニッサン、ミツビシ、カワサキ、ヤマハ、ソニー、パナソニック……

 「私はジャポネだ」(ジャポネ:フランス語で日本人)と言うと、それまでシノワと言いながら馬鹿にしていた輩が、掌を返したように敬意を込めた眼差しを向けてくる。

「ああ、それは失礼した。ジャポネとシノワは違うのかい?」

「あなた方が、白人をやっつけてくれたのかい。すばらしいじゃないか!」

 このとき、目の前にいる異人に対する認識が変わり、対応の仕方が180度変化する。

 そんな経験を何度も繰りかえしながら、私は日本人でいることの自尊心をくすぐられ、同時に人が見知らぬものをどう認識し、どんな態度をとるのか、すこしずつ理解するようになったのである。

悪魔の囁き


 人々をいくつかのカテゴリーに分類し、それらを自分を中心としながら序列化し、その組み合わせとして世界を把握してゆく。

 自分から距離が遠くなるほど情報量が減り、それらの人々に対してあるいは警戒し、あるいは好奇心を持つようになる。

 きっと、これは人間としてあたりまえの認識のプロセスで、誰もが日々、無意識のうちにおこなっていることであろう。

 それだけなら問題ない。だがここで、思わぬ伏兵が待っている。

「悪意」である。

 この認識プロセスと悪意が手を組んだとき、差別が生まれる。

 奴らは俺たちとは違った、劣った、穢れた存在である。排除するか、あるいは閉じこめて管理しなければ、危険を及ぼすにちがいない。

 こうした考えが人々の心を侵食したとき、区別は差別となり、ときにそれが社会的に制度化される。

 南アフリカのアパルトヘイト、アメリカの人種差別法、ユダヤ人ゲットー、被差別部落問題……

 さいわい、人間には差別を「非」「誤」であると感じる理性と心が宿っているので、長い闘いの末、それらの制度は撤廃されてきた。

 だがそのおなじ人間が、心に悪意を宿し、差別をつくりだす。

 そもそも悪意とは何か?

 人間に固有の心性なのか? あるいは他の動物にもあるのか?

 悪意そのもので存立しているのか? あるいは他の要因、たとえば恐怖や嫉妬などによって喚起されるのか?

 これはまさに、哲学、倫理学、宗教学、あるいは心理学などにおける一大テーマであり、ここで答えを導きだせる問題ではない。

 だが確実に言えるのは、だれもがその心に剥きだしの、あるいは秘められた悪意を持っているということ。

 ヒトラーのユダヤ人虐殺のような、確信犯的悪意だけが問題なのではない。

 善意をもって難民を受け容れたら、低賃金労働者となって自分たちの職を奪われそうになった。

 外国人の隣人と仲良くしようとしたら、その地の慣習を理解せず、好き勝手な振る舞いをされた。

 バイト先の同僚が、我が国と小さな島の領有権を争っている国の出身者であった。

 そんな些細なことの積み重ねが、あなたの心に眠っている悪意を目覚めさせる。

 そもそも、「違う」ということに心のどこかで不安な気持ちを抱いてきた。

 そんなあなたが悪魔の囁きに耳を貸したとき、今まで区別であったものが、差別へと姿を変えるのであろう。

悪意に克つ


 私のアビジャンにおけるシノワ体験とは、区別と差別の境界線を浮遊していたような、そんな体験であった。

 アジア人であるがゆえに、ある者からは拒否され、ある者からは受け容れられた。

 その差は、究極的には個々人の心の有り様を反映しているのだと思う。

 この世は自分たちと違う者で溢れかえっている。それは、人種、民族、国籍にかぎらず、ジェンダーや障害者など、さまざまな領域にわたるであろう。

「違い」に対し、ある者は心を閉ざし、ある者は心を開く。

 また、同一人物が、ある時は心を閉ざし、別の時には心を開くこともあろう。

 あるいは、ある種の違いには心を閉ざしながら、別の違いには心を開く人もいよう。

 きっと、人間とはこのような動物なのであろう。私たちは、このように生まれ、このように生き、このように死んでゆく「種」なのであろう。であるから、たとえ差別したとしても、それは人間の本性に根ざすものであり、善いとか悪いとかいった道徳的な問題ではないのかもしれない。

 だがその一方で、こういった中立的な、あるいは相対的な物言いは、いっけんクールではあるが、やはり無責任であると感じる自分の心を無視することができない。

 違いに対して心を閉ざし、差別へと向かう心性には、やはり「悪意」という言葉が似合う気がする。

 おそらく、悪意のない人間などいない。悪意も含めて、人は人である。

 私には悪意はない、などと言ってはいけない。もっとも手強い敵こそ、あなたにその言葉を吐かせる「偽善」なのだから。それは本人の意識しないところで、悪魔の存在を心の奥底に覆い隠してしまう。

 ほんとうに無垢な人がいるとすれば、彼はドストエフスキーの小説『白痴』の主人公ムイシキン公爵のように、世間の人々の刺々しい悪意にさらされて、廃人になってしまうことであろう。

 悪意を心に飼う自分は、つねに差別する側にまわる可能性があるということを心に留める必要がある。

 そして、その悪意に打ち克ち、心に棲む悪魔を飼い慣らすよう努めてみる。

 あなたの心のどこかにある共感の力を呼び覚まし、差別の誘惑と闘ってみる。

 私たちは、悪意に満ち、差別の落とし穴に囲まれた社会に生きている。

 あなたひとりの力で、そんな社会を変えることはできないかもしれない。

 だが、すくなくとも自分自身を変えることには意味がある。

 なぜなら、人生は一度きりしかないのだから。

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著者

鈴木 裕之

慶應義塾大学出身。国士舘大学教授。文化人類学者。専門はアフリカ音楽。著書に『ストリートの歌―現代アフリカの若者文化』(世界思想社/2000年/渋沢・クローデル賞現代フランス・エッセイ賞受賞)、『恋する文化人類学者』(世界思想社/2015年)ほか多数。1989年~1994年まで4年間、コートジボワールの大都市アビジャンでフィールドワークを実施。その際にひとりのアフリカ人女性と知り合う。約7年間の恋人期間を経て1996年に現地にて結婚。彼女が有名な歌手になっていたことで結婚式は注目され、現地の複数の新聞・雑誌でとりあげられた。2015年、この結婚の顛末を題材にした文化人類学の入門書『恋する文化人類学者』を出版。朝日新聞、週刊新潮、ダ・ヴィンチなどの書評、TBSラジオ、文化放送などのラジオ番組でとりあげられ、大学入試問題にも採用された。

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