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よみものどっとこむ

第2回

このような姿で生かされることを、誰が望んだのか

2016.07.26更新

読了時間

■自然死が社会的に受け入れられる時代になった


 NHKの『老衰死』の放送後、さまざまなところから反響が寄せられました。なかでもうれしかったのは、放送の翌朝早々に、私の母校である慶應義塾大学外科学教室の九〇歳の先輩から、「久しぶりに自然死を見せてくれてありがとう」との電話をいただいたことです。


 いまから約二〇年前、社会学者の広井良典氏が「死は医療のものか」と題する論文を『社会保険旬報』に発表しました。それは人間の終末期には、医療よりもむしろ福祉ケアが関わるべきだという主張の内容でした。これに対して、当時、医師たちから反論が起きました。「高齢者の最期は肺炎で亡くなることが多い。肺炎は医療によって治せるのに、治療しないのは見殺しにすることだ」というわけです。いわゆる「みなし末期」論と呼ばれるようになる論争のはじまりでした。


 それから間もなく一九九八年一月、NHK教育テレビ「列島福祉リポート」で、北海道の特別養護老人ホームでの看取りの模様が放映されました。下血した八〇歳の男性が病院に送られることを断り、老人ホームで八日後に亡くなったということが取り上げられていました。


 広井氏の論文に反発していた医師たちは黙っていませんでした。「医療を受けさせれば助かる者を助けなかった」ことへの非難とともに、「治療しないとは医療の制限である。それを美談のように放送するとはけしからん」とNHKへの批判も高まったのです。この問題は当時、衆議院の厚生委員会でも取り上げられるほどでした。


 いまから二〇年ほど前には、本人の意思を尊重して看取りをするということがまったく理解されなかったのです。老人ホームで担当していたスタッフは、挫折感に見舞われて職場を去ったそうです。そのことを考えると、世の中の終末期医療に対する意識の変化には、今や隔世の感があります。医療の世界では、当時、「方法があるのなら、なんとしてでもいのちを助けなければならない」という考え方が全盛でした。何を隠そう、かつての私自身、そう信じて疑わない医師のひとりでした。


■人生最終章における医療の意味とは何か


 私は還暦のころから、医師として、人間として、自分が治すことができなかった患者さんに、どのように責任を取るべきか悩むようになりました。機会があって、ロンドンの郊外にあるセント・クリストファー・ホスピスを訪問し、緩和ケアの創始者であるシシリー・ソンダース医師にお会いすることができました。


 不治の病の方にとって必要なことは、もはや医療による治療ではなく、その人の尊厳が保たれたかたちで過ごせる生活の支援だということを教えてもらいました。その人の尊厳、生活の支援――それは急性期病院の医師、とりわけ外科医にはほとんどなかった発想で、目を見開かされました。

私は医療の意味を考え直すようになりました。


 日本が高齢化に突き進んでいることから生じるさまざまな課題、問題が、社会に目立ちはじめるようになってきていました。私が人生途上の病を乗り越えるお手伝いをした方々も、年月を経てどんどん歳をとられていきます。その方たちはその後どうされているのか、高齢者の医療福祉の現場をこの目できちんと見なければならない、それが医師としての自分の責任なのではないかとも思いました。


 そんなタイミングで、阪神・淡路大震災が起こりました。どんなに医療技術が進歩しても、人間が長寿化しても、死というものはいつ、どのようなかたちで襲ってくるかわかりません。人間の死ということを考えたとき、ますます人生最終章のあり方について考えなければならないと思うようになりました。そこへちょうど世田谷区が運営している特別養護老人ホーム(特養)で、常勤医が亡くなられて代わりの医師が見つからないと聞きました。自分が行かせてもらえば、人生の最終章の様子を見ることができるのではないかと思ったのです。

私は特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の常勤医になりました。


■このような姿で生かされることを、誰が望んだのか


 胃ろうをつけられて、ものも言えずにただ横たわっている高齢の方々の姿を見たとき、私は激しいショックを受けました。病院にいてはけっして知り得ないものでした。関節の拘縮で手足は不自然な角度に折れ曲がり、口はムンクの「叫び」のように開き、人によっては時に「ああ」とか「うう」とうなり声を漏らしています。


 なぜ、このようなかたちで?


 もし私自身が寝たきりになったら、このような状況を望むだろうかと考えると、それは「ノー」です。自分だったら、このようにして生かされたいとは思いません。では、この人たちは望んだのでしょうか。おそらく自ら望んでこの状態になっている人はいないと思われます。どうしてこういうことになるのか。


 驚きはそれだけではありませんでした。勤務しはじめると、私はさらにさまざまな疑問にぶつかりました。特養の医師として私がやらなければいけなかったのは、どの人に一日何キロカロリーの栄養を摂取してもらい、何ミリリットルの水分を摂取してもらい、どんな薬を服用してもらうかの指示をすることでした。職員はその指示のもとに食事介助をしたり、胃ろうなどの栄養パックをセットしたりするのです。一日に決められた量をきちんと摂ってもらうことは、施設側にとって大事な責務、いえ、ある種ノルマのようなものでした。それを果たすためには、ときには深夜に水分補給をする、というようなこともあったのです。


 なぜそんなことが必要だったのか。それは「きちんと食べさせないことが死につながる」というのが世の中の常識だったからです。「食べさせないから衰えるんだ、なぜきちんと食べさせてくれないんだ」と家族からクレームが来るような状況だったからです。


 老いて認識力が落ちること、反射が落ちることは、人生の終わりが近づいたしるしなのですが、それでも水分と栄養を入れなければと考えるのです。入所者の方の体調に異変があると、受け入れてくれる病院を急いで探すのも私の役目でした。その当時は、特養で死者を出すということは、職員に何か手落ちがあって事故が起きたからだと思われていたのです。その責任を負わされるのは困るので、入所者の体調に異変があるとすぐに病院へ送ることが、施設の大原則になっていました。


 そこで何が起きるか。

多くの方が認知症を患っています。ご本人にしてみれば、何が起きたのかわかりません。運び込まれた救急外来で手に痛い針を刺されて点滴が始まります。嫌だから抜こうとすると拘束されます。本人はパニックに陥り、いっそう騒ぐことになります。


 病院としては、こんな厄介な患者さんにいつまでもいられては困ります。手はかかるし、在院日数が延びることは経営に差し支えます。できるだけ早く退院していただきたい。経口摂取が可能な状態かどうかをゆっくり判定することもなく、家族は病院に呼ばれて、「口から食べることが誤嚥(ごえん)になり、肺炎を起こすのです。それを阻止するためには、胃ろうをつけることです」と言われます。


 内視鏡を使って胃の中を照らして、お腹に小さな穴を開けて、プラスチックのキットをはめ込めば、三〇分もかからずに「胃ろう」ができます。チューブをつないでおけば、吸収のよい経管栄養剤を胃の中へ直接入れることができます。誤嚥性肺炎で入院した方の多くが、このような経過を経て胃ろうをつけられて帰ってきました。これはどう考えてもおかしい。私の中でいくつもの疑問が渦巻くようになるのに、そう時間はかかりませんでした。

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著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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