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よみものどっとこむ

第3回

食べられなくなったら、自然のままに

2016.08.02更新

読了時間

■胃ろうにしたら、誤嚥性肺炎を起こさないのか


 胃ろうで栄養剤が直接胃に入るようになると、口から喉を食べ物が通っていかないので、もう気管に入る怖れがない。だから誤嚥性肺炎を起こさなくなるだろう、と思う方もいるでしょうが、残念ながら胃ろうをつけても肺炎予防にはなりません。


 なぜなら、直接胃に入れても体がそれを受け付けないと、胃から逆流が起きるからです。それでなくても高齢になると、老化によって噴門部(食道と胃の境)の筋肉も緩んでいるので、胃の内容物が食道を逆行して逆流性食道炎を起こしやすくなっています。そこへ過剰に入れられると喉に上がって、反射の落ちた気管に入り、誤嚥性肺炎を起こすのです。実際、私が芦花ホームに赴任したばかりのころ、数人の胃ろうの方たちが誤嚥性肺炎のために何度も病院とホームの間を行ったり来たりしていたことが記録されていました。


 問題は、入れる水分や栄養の量にあったのです。人間はある程度歳をとると、徐々に食べられる量が減ってきます。四〇代の人でも、二〇代のころと比べると「若いころのようには食べられなくなったなあ」と感じることがあるはずです。当然、七〇代、八〇代、九〇代と老齢になるにしたがって、食べる量は減ります。しかし、寝たきりの生活をしている九〇代の人がいったいどのくらいの量の水分や栄養を摂取するのがいいのか、正確なデータはこれまでない上に、体の具合は常に変化しています。


 入院患者で寝たきりの場合、一日一〇〇〇キロカロリーは必要だといわれていました。しかしそれはあくまで一時的なものです。長期にわたり、しかもどんどん歳をとっていく人の実態は無視されて一定量のカロリー補給が必須と考えられていたのです。私たちの体は器械ではありません。私たちは体の具合に応じて、食欲によって食べる量を調節して生きてきたのです。


■その人に合った量に減らす


 私は看護師たちと相談して、水分や栄養の量を減らしてみることにしました。正解でした。逆流して喉に詰まらせたり、誤嚥性肺炎を起こしたりすることが明らかに減ったのです。必要栄養カロリーを摂取させるために、本人が望む以上に食べさせようとしていたことが間違いでした。家族は「しっかり食べさせてください」と言い、職員も「しっかり食べてもらおう」とがんばっていましたが、肝心の高齢者の身体は、もう必要とする水分や栄養の量を減らそうとしているのです。


 口から食べている場合は、拒否することができますが、胃ろうなどの経管栄養の場合、一定量のものが機械的に胃の中に送り込まれてくるのです。身体が受けつけず、逆流を起こすのも無理はないわけです。通常、成人男性は一日二〇〇〇キロカロリー、成人女性は一八〇〇キロカロリーが目安といわれていますが、寝たきりの高齢者はぐんと少なくていいのです。実際に六〇〇キロカロリーで一年半生きていた人もいましたし、二〇〇〜三〇〇キロカロリーで六週間もった人もいました。いずれも九〇代の女性でした。


 医学生のバイブルともいえる『ハリソン内科学』に、こういう内容のことが書かれています。


「死を迎える人は、いのちを終えようとしているのだから食べないのだ。食べないから死ぬのではない。このことを理解することで、家族や介護する人は悩みを和らげられる」


 私はこの意味を、ホームの医師となってから初めてリアルに体感しました。食べるという行為は、ただ栄養摂取をしているだけではありません。味覚だけでなく、視覚や嗅覚、そして舌ざわりといった触感など、総合的な感覚でものを味わっているのです。


 認知症が進んで自分が何者なのかもうわからなくなってしまった人でも、食べ物の好き嫌いは変わりません。甘いものが好きだった人は、やっぱり最後まで甘いものに関心を示します。苦手だったものは、形がなくなっていても嫌がります。しかし、それが生きているということなのです。


 おいしいと感じることは、生きるうえでの大切な条件です。食べること、味わうことを奪われると、生きる喜びを失います。経管栄養になって口からものを食べることがなくなった人は、口の中、顎、食道などの筋肉を使わなくなることで、一気に老化が進み、衰えていきます。五感への刺激がなくなるため、脳の働きも衰えます。喜びを奪われ、魂が抜けたようになります。ものを言わなくなります。笑顔を出さなくなります。


 食べるということは、人間の生きる意欲と深く結びついているのです。食べられなくなった高齢者に対して経管栄養という措置をとるときには、そういうこともしっかり考えるべきなのです。


■食べられなくなったら、自然のままに


 「自然にまかせたら人は穏やかに死ねる」というヒントをくれたのは、三宅島の人でした。

私がホームに赴任したとき、三宅島の女性が入所していました。九〇歳くらいだったと思います。日本は自然災害の多い国です。三宅島が噴火し、島民が東京都内に避難してきたことがありましたが、そのときに彼女は芦花ホームの住人となったのです。


 熱を出して入院になりました。誤嚥性肺炎でした。胃ろうを勧められました。病院からの連絡で息子さんが行くと、お母さんは鼻から経管栄養の管を入れられていました。その姿を見た息子さんが、私のところへ来て言いました。


 「先生、なんであんな管をつけたり、胃に穴を開ける手術をしたりしてまで生かしておかなきゃいけないんでしょうね。私にはわかりません。三宅島では昔から、年寄りが食べられなくなると、枕元に水だけ置いて寝かせておき、家族は静かに見守ります。島ではみんなそうやって死んでいきます」


 息子さんのこの言葉が、私の心に強く焼きつきました。

高齢者が食べられなくなるのは、病気ではないのです。それは生き物としての限界が近づいているということ、寿命なのです。人間は自然の一部です。老いて衰えたら、最期は自然に帰るのです。そのときが来たら、よけいなことをしないで、昔ながらの知恵に即して、自然な寿命が来ることを本人も家族も受け入れる、それこそが本来の正しい姿なのではないだろうか、と思うようになったのです。


 思い起こしてみれば、私が子どものころ、年老いた祖母が、仏間に布団を敷いて長く寝ていました。そしてそのまま息を引き取ったことを思い出します。三宅島に限らず、それが日本人のごく当たり前の死に方でした。病院でいろいろな医療の末に最期を迎えるのが一般的になったのは、ここ五〇年ほどのことです。私は職員に「ここで自然の摂理にまかせた看取りをしよう」と提案しました。家族会でも何度も話しました。

われわれの看取り活動が始まりました。


■仏さまのような穏やかで柔らかな表情


 それから芦花ホームでわれわれが立ち会わせていただいた自然な最期は、例外なく静かで安らかでした。最期のときが近づいたら、無理して食べさせない。飲ませない。病院に送って何か延命的措置をするのではなく、ご家族と職員で見守って迎えます。


 これは見殺しにするということとは違います。その人のために、あえてよけいなことはしないのです。その人の持っている生命力に寄り添うのです。その様子はまるで、身体の中を整理整頓して片付け、身を軽くしていくようです。「眠るような最期」という言葉がありますが、本当に、眠って、眠って、静かに息を引き取られていくのです。皆さん本当に穏やかなお顔をしています。温和な優しい表情をしているのです。まさに仏さまのようなのです。


 ですから、最期に立ち会うと、自然と「ありがとうございます」という言葉が口をついて出てきて、そっと合掌をしています。病院で病と闘い、死と闘って、敗れ果てた末の最期とはまったく違います。病院では「治せないこと=死」を意味し、「死=敗北」でした。ですから、「なんとかしてこの人のいのちを救わなければいけない、生き延びさせてあげなければいけない、病気に負けるわけにはいかない」と、最後の最後まで手を尽くそうとしました。それでも亡くなってしまうことは、医療者にとって最も無力感を味わう瞬間でした。患者さんはみな、険しい顔をしていました。苦悶の表情でした。当時は、病や死と闘いつづけたことが苦しかったのだろうと思っていました。


 けれどもいま振り返ってみると、それはさまざまな人工的なものをつけられた状態に対する不快感や苦悶だったのかもしれません。それは、ホームで看取りをすることが決まったとき、ずっと寝たきりで意識もなく、痰の吸引や気管チューブの交換のたびに身体を震わせて苦しんでいた人からチューブ類を外すと、その人の表情がふっと和らぐことから気づきました。自然死こそ苦しまずに安らかであるということは、古代ギリシアの時代からわかっていたようです。プラトンはこう言っています。


 老いとともに自然に終局に向かうものはおよそ、死の中で最も苦痛の少ないもの


 病気や障害によって迎える死は苦しいものだけれど、老いとともに自然に終局に向かうものは、死の中でも最も苦痛の少ないものだろう、と言っているのです。生き物は自然の摂理のもとで生きています。最期も自然にまかせるのがいちばんなのです。


 自然は、私たち生き物が、穏やかに最期を迎えられるようにセットしてくれています。それを人工的な延命措置を施して自然の摂理に逆らおうとすると、生き物に与えられた自然の恩寵(おんちよう)(神の恵み)を受けられなくなります。


 身体が最後に代謝を終えるのなら、飛行機が着陸するのなら、もう水分も燃料も無理に補給することはない、欲しくなくなるのですから食べなければよいだけ、そのうち眠くなって夢見心地、老衰の最終章はそんな姿です。


 これが「平穏死」のあり方です。


 私が最初に出した『「平穏死」のすすめ』が文庫になったときに、敬愛する日野原重明先生が解説を書いてくださいました。その最後の部分に、「死は『終わり』ではなく、むしろ永遠の生への『出立』」という言葉がありました。だから、平穏死を英語にするならば、「Peaceful Eternal Life」と呼ぶのがいいのではないか、とあったのです。それを読み、思わず手を打ちたくなりました。まさに、死に方は生き方なのです。

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  • みんなの感想

    jugo

    とても参考になりました。義母(75歳)と同居して6年になります。同居し初めの頃と比べると、ぐんと食事量が落ち、6年でこんなに変わるものなのかと思いました。しっかり量をとったほうがよいのか、それとも、自然にまかせた食事量をだせばよいのか、戸惑っていましたが、「食べられなくなったら自然のままに」という言葉がスッと入ってきました。とにかく、栄養をとらせようと思いがちになってしまいますが、そうではないのだなと納得できました。

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著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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