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よみものどっとこむ

第4回

終末期医療、家族のジレンマはなぜ起きる?

2016.08.09更新

読了時間

第2章 終末期医療、家族のジレンマはなぜ起きる?


■高齢者介護の現場はいま


 高齢者の介護施設はどこもいっぱいで、ご家族はたいへん苦労されています。国は「住み慣れた家で最期まで」としきりに在宅介護を勧めます。いくら地域包括ケアシステムでサポートするといっても、実際問題として二四時間一緒に生活して世話をしなければならないのは家族ですから、家族の負担は減りません。皆さん、へとへとです。


 以前から「老老介護」「認認介護」のような状況はありましたが、このごろは、親の介護のために仕事を辞めざるを得ない「介護離職」もかなり増えています。最初のうちは「自分にとってたった一人の父親、母親なのだから、これは最後の親孝行だ」と思って介護を始めた人も、いつまで続くかわからない毎日の連続のなかで疲弊し、介護うつになる人もいれば、思わず虐待行為に走ってしまう人もいます。デイケアや訪問介護、最近急速に増えている小規模多機能型居宅介護(小規模多機能ホーム)などをうまく利用することです。一人で背負い込んでしまうと、行き詰まってしまいます。


 特別養護老人ホーム(特養)の入所は、厚生労働省が要介護3以上に定めたので、衰えが進んで重症化している人ばかりが入ってくるようになりました。以前は、認知症で徘徊する人や「帰りたい、帰りたい」と騒いだりする人など体力的に元気な人がいましたが、いまはそんな元気な状態で特養に入ってくる人は珍しくなりました。


 老いは止まってくれません。入所を待っている間にもどんどん衰えが進んでいきます。自宅では対処しきれなくなって別の施設探しに奔走し、小規模多機能ホームとか、介護老人保健施設(老健)とか、経済的に余裕のある人は有料の老人ホームとか、いろいろ点々とされているケースが多いのです。ご家族の「ああ、やっと芦花ホームに入所が決まって、心底ほっとしました。ありがとうございます」という言葉に、それまでの苦労が窺われます。


 老健は、以前は病院とホームの中間のような位置づけでしたが、高齢者がどんどん増えて行き場所がないため、いまは一時的な中継地点ではなくて、最終地点に変化してきました。そのため、老健でも看取りをやるようになっています。そうせざるを得なくなっているのです。


 芦花ホームでは、このところ入所検討委員会を頻繁にやらなくてはいけなくなりました。重症化している人が入ってきているため、亡くなる方が多いのです。従来、入所検討は月に一回程度でよかったのですが、このごろは月に三回開くこともあります。また必然的に入所期間が短くなった、ということも言えます。職員は、入所者の方に人間らしい生活を送っていただくために何ができるかを一生懸命考え、喜んでいただけるようにがんばっているのですが、最近はもうコミュニケーションが取れない状態になって入ってくる方が増え、しかも短期間の方が増えたので、介護スタッフたちはお世話をする張り合いが少なくなっているという一面もあります。ホームが、高齢者にとっての「終の棲家」から、「最期を迎えるための場所」のようになってきつつあります。


■それは家族の受難として始まる


 老衰のプロセスを大きく分けると、まず移動の能力が落ち、次に排泄の能力が落ち、そして摂食の能力が落ちていきます。普通のコミュニケーションが成り立っているときはまだいいのです。問題は認知症というかたちで、違う世界に生きはじめた人とのコミュニケーションにあります。


 典型的なパターンを紹介しましょう。

しっかり者だったお母さんが、ときどきわけのわからないことを言いだすようになります。娘さんは、注意をすることが増えます。お母さんは、なぜ自分のやることなすことこんなに否定されるのか、なぜこんなに責められなければいけないのか、わかりません。自分の娘、かつてあんなにかわいくて、いつも「お母さん、お母さん」と自分を慕ってくれていた娘が、こんなことを言うはずはないと思いはじめます。こんな意地悪いことばかり言う女は、私の娘なんかではない。そしてまた衝突が起きたときに言います。「あんた誰よ!」「あんたなんか私の娘じゃない」と。娘さんのほうはショックを受けて、「何言ってんのよ、私よ、お母さんしっかりしてよ!」と、お母さんの肩をつかんで揺さぶります。お母さんは、この人は言葉だけではない、暴力も振るうのかと思い、怯えます。娘さんを怖がるようになります。


 始まりは、親思いの娘さんが歳をとって生活が不自由になってきたお母さんの介護をしようとしたことでした。血がつながっているから、親しい間柄だからこそ遠慮なく家族は言います。注意します。同じ世界で会話が成立していたときには問題なかったことのはずなのに、互いの気持ちがうまく通い合わなくなると、いつしか家庭における介護地獄の一面と化していきます。娘さんは睡眠時間がどんどん減らされます。一晩中一睡もできないこともあります。それでも朝になったら会社に行って仕事をしなければなりません。もうへとへとです。


 さっき、やっと片付けたかと思ったところを、また汚されます。もう我慢の限界です。ついカッとなり、心ならずも虐待が起きます。これまでの長い人生の中で埋もれていた心の古傷が、澱んでいた思いが呼び起こされ、血がつながっているからこそ噴き出します。


 娘さんは、お母さんの身に起きている認知症を、「受難」ととらえます。お母さんが憎いわけではありません。しっかりしたお母さんだったからこそ、自分の身内だからこそ、その人が〝壊れていく〞のが受け入れられないのです。そして、どうして私がこんな受難に遭わなければいけないんだろうと思います。心がどんどんすさんでいきます。


 このような方たちを社会的に支える仕事として、認知症の人と家族の間に入って生活を支えるのが介護施設の役割です。お母さんが施設に入ってしばらく距離を置き、ようやくゆっくり眠ることができて自分を取り戻した娘さんは、穏やかな顔でお母さんに接することができます。お母さんも、優しいわが娘に微笑み返します。入所後二週間ほど経った日曜日、複雑に絡んだ気持ちがほぐれて、お母さんと久しぶりに午後の紅茶を飲んでいる家族のひとときの様子を見ると、とても虐待が起きるような家族には見えません。家族の問題だと自分で抱え込まずに、第三者に関わってもらうことの大切さを感じます。


■年寄りの本音


 芦花ホームは平均年齢九〇歳、九〇パーセントの方が認知症を患っています。以前はいまほど重症の方が多くなかったので、私もおしゃべりをしたものですが、よく言われました。「老いぼれてこんな状態で生きていたくない」と。「人さまに迷惑をかけて生きていたいなんて思っていなかった」と。「先生、一服盛ってくださいよ」と言う人までいました。


 私は、それが大多数の年寄りの本音だと思っています。長生きはしたいと思っていたでしょうが、それは自分で自分のことができる範囲のことであって、人に厄介になりたいと思っていた人はそうはいないのではないでしょうか。とくに戦争という厳しい時代を生きてきた世代にはそういう気持ちが強かったと思います。


 しかし死に時を自分で決めることはできません。いつのまにか老い衰え、いつのまにか呆けて認知症と診断され、排泄も食事も自分ではできなくなり、介護を受けるようになった。それでもまだ死なない。やがて意思表示することもできなくなって、肺炎を起こしたのがきっかけで胃ろうをつけられ、寝たきりのまま〝生かされ〞つづけるようになる。


 自分の意思でこういう人生のエンディングを選んだ人はいないと思います。がんばって生きてきてたどりついた先がこういうかたちで幕を閉じることになろうとは、誰一人思っていなかったはずです。そんな高齢者が、日本にはまだびっくりするほどたくさんいます。意思表示ができたら、「もういいかげんに逝かせてくれ」と訴えられるにちがいないような気がします。


 そのご家族はなぜ、そういう選択をしたのでしょうか。なぜ、生かしつづけなければならないと思ったのでしょうか。

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著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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