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第132回

315話〜317話

2021.10.01更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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15‐1 心のはたらきをしっかりさせ打ち立てる

【現代語訳】
公都子が問うて言った。「同じ人間であるのに、ある人は大人物となり、ある人は小人物となるのは、どうしてでしょうか」。孟子は答えた。「人の身体には大体と小体があるが、その大体、すなわち良心に従えば大人物となり、小体すなわち口腹、耳目などの欲に従えば、小人物となるのだ」。公都子は聞いた。「同じ人間なのに、ある人は大体(良心)に従い、ある人は小体(耳目の欲)に従うのはどうしてでしょうか」。孟子は答えた。「耳や目などの官能は、自ら思うことはないので、外物にすぐ動かされてしまう。そして、外物が次から次へとくると、それに引き込まれていくことになってしまう。これに対して心の官能は、思うというはたらきをする。思うことをすれば道理を会得できるが、思わないと道理を会得することができない。これらの心も耳も目も天から与えられたものではあるが、まずはそのなかで大なるもの、すなわち心のはたらきをしっかりと打ち立てれば、その小さなもの、すなわち耳目や口腹のようなものが、大なる心のはたらきを奪うことなどできなくなる。こういう人が大人物となるのである」。

【読み下し文】
公都子(こうとし)問(と)うて曰(いわ)く、鈞(ひと)(※)しく是(こ)れ人(ひと)なり。或(ある)いは大人(たいじん)(※)と為(な)り、或(ある)いは小人(しょうじん)と為(な)るは、何(なん)ぞや。孟子(もうし)曰(いわ)く、其(そ)の大体(だいたい)に従(したが)えば大人(たいじん)と為(な)り、其(そ)の小体(しょうたい)に従(したが)えば小人(しょうじん)と為(な)る。曰(いわ)く、鈞(ひと)しく是(こ)れ人(ひと)なり。或(ある)いは其(そ)の大体(だいたい)(※)に従(したが)い、或(ある)いは其(そ)の小体(しょうたい)に従(したが)うは、何(なん)ぞや。曰(いわ)く、耳目(じもく)の官(かん)(※)は、思(おも)わずして物(もの)に蔽(おお)わる。物(もの)、物(もの)に交(まじ)われば(※)、則(すなわ)ち之(これ)を引(ひ)くのみ。心(こころ)の官(かん)は則(すなわ)ち思(おも)う。思(おも)えば則(すなわ)ち之(これ)を得(う)るも、思(おも)わざれば則(すなわ)ち得(え)ざるなり。此(こ)れ天(てん)の我(われ)に与(あた)うる所(ところ)の者(もの)、先(ま)ず其(そ)の大(だい)なる者(もの)(※)を立(た)つれば、則(すなわ)ち其(そ)の小(しょう)なる者(もの)(※)奪(うば)うこと能(あた)わざるなり。此(こ)れ大人(たいじん)たるのみ。

(※)鈞……同じように。均と同じ。
(※)大人……大人物。徳のある大きな人。
(※)大体……ここでは、人の本性。孟子の言う性善な本性。
(※)官……官能。
(※)物、物に交われば……外物が次から次へとやってくると。初めの「物」も後の「物」も同じ外物とみた。これに対し、初めの「物」は外物、後の「物」は耳目などを指すと解する説もある(朱子など)。また、後の「物」をないとする説もある。となると「物交われば」と読む。
(※)大なる者……心のはたらき。心志。
(※)小なる者……耳目や口腹。

【原文】
公都子問曰、鈞是人也、或爲大人、或爲小人、何也、孟子曰、從其大體爲大人、從其小體爲小人、曰、鈞是人也、或從其大體、或從其小體、何也、曰、耳目之官、不思而蔽於、物、物交物、則引之而已矣、心之官則思、思則得之、不思則不得也、此天之所與我者、先立乎其大者、則其小者弗能奪也、此爲大人而已矣。

16‐1 天爵と人爵

【現代語訳】
孟子は言った。「この世には、天爵と人爵というものがある。仁義忠信の徳を身につけ、こうした徳を行うことを楽しみ、あきることなくやる人に、天が与えるものが天爵である。一方、公・卿・大夫などの世俗の爵位は、人が与えた人爵である。昔の人は、その天爵を修養して身につけるよう努力し、その結果、人徳者となり、人爵も自然に与えられたのである。ところが、今の人は、人爵を得るために、天爵を身につけることをする。こうしてすでに人爵を得ると、天爵を捨ててしまうが、これはひどい惑い(考え違い)である。こんなことをしていたら、せっかく手に入れた人爵も、いつか必ず失ってしまうに違いない」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、天爵(てんしゃく)(※)なる者(もの)有(あ)り。人爵(じんしゃく)(※)なる者(もの)有(あ)り。仁義(じんぎ)忠信(ちゅうしん)、善(ぜん)を楽(たの)しみて倦(う)まざるは、此(こ)れ天爵(てんしゃく)なり。公(こう)卿(けい)大夫(たいふ)は、此(こ)れ人(じん)爵(しゃく)なり。古(いにしえ)の人(ひと)は、其(そ)の天爵(てんしゃく)を修(おさ)めて、人爵(じんしゃく)之(これ)に従(したが)えり。今(いま)の人(ひと)は、其(そ)の天爵(てんしゃく)を修(おさ)めて、以(もっ)て人爵(じんしゃく)を要(もと)む。既(すで)に人爵(じんしゃく)を得(え)て、其(そ)の天爵(てんしゃく)を棄(す)つるは、則(すなわ)ち惑(まど)いの甚(はなはだ)しき者(もの)なり。終(つい)に亦(また)必(かなら)ず亡(ぼう)せん(※)のみ。

(※)天爵……天から授かった爵位。
(※)人爵……人から与えられた爵位。
(※)亡せん……失ってしまう。なお、『論語』には、次のような箇所がある。「子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)は道(みち)を謀(はか)りて食(しょく)を謀(はか)らず。耕(たがや)すも餒(う)え其(そ)の中(なか)に在(あ)り。学(まな)べば禄其(ろくそ)の中(なか)に在(あ)り。君子(くんし)は道(みち)を憂(うれ)えて貧(まず)しきを憂(うれ)えず(衛霊公第十五)。と同世代の人と思われる老子は、もっとはっきりと断言する(孟子は老子の説の中身を鋭く指摘していると推測できる。もっとも老子は徳を身につけていくべきと考える儒教の教えに懐疑的ではあるが)。老子は言う。「富貴(ふうき)にして驕(おご)るは、自(みずか)ら其(そ)の咎(とが)を遺(のこ)す。功(こう)遂(と)げて身(み)退(しりぞ)くは、天(てん)の道(みち)なり」(運夷第九)。孟子のここの言葉は、後の世の学歴偏重社会の問題も指摘しているようである。

【原文】
孟子曰、有天爵者、有人爵者、仁義忠信、樂善不倦、此天爵也、公卿大夫、此人爵也、古之人、脩其天爵、而人爵從之、今之人、脩其天爵、以要人爵、旣得人爵、而棄其天爵、則惑之甚者也、終亦必亡而已矣。

17‐1 人爵(爵位)など大した意味はない。大切なのは天爵

【現代語訳】
孟子は言った。「貴い(※)自分となることを欲するのは、人誰も同じ心である。人々は皆自分に貴いもの、すなわち天爵を持っている。しかし、ただそれに気づかないだけである。世俗の貴い地位は、人が貴くするものであり、天爵のような、本来の貴さではない。(例えば、晋の権力者である)趙孟(※)が、与えた貴さどうのは、また趙孟の気分でこれを取り上げ、卑しくすることがよくあるというべきである。『詩経』にはこうある。『すでに酒でだいぶ酔った。すでに徳を十分にいただいた』と。徳を十分にいただいたとは、仁義の徳、すなわち天爵を十分にいただいて、満ち足りていることを言うのである。このように天爵で満ち足りているので、人爵的なもの、例えば他人がおいしいものを食べていても、それを欲しいなどと思わない。また、天爵によって、良い評判も高い名誉もその身に加わっているので、人爵的なもの、例えばば他人の美しい飾りたてた服などを願い欲しがることなどないのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、貴(とうと)き(※)を欲(ほっ)するは人(ひと)の同(おな)じき心(こころ)なり。人(ひと)人(びと)己(おのれ)に貴(とうと)き者(もの)有(あ)り、思(おも)わざるのみ。人(ひと)の貴(とうと)くする所(ところ)の者(もの)は、良貴(りょうき)に非(あら)ざるなり。趙孟(ちょうもう)(※)の貴(とうと)くする所(ところ)は、趙孟(ちょうもう)能(よ)く之(これ)を賤(いや)しくす。詩(し)に云(い)う、既(すで)に酔(よ)うに酒(さけ)を以(もっ)てし、既(すで)に飽(あ)くに徳(とく)を以(もっ)てす、と。仁義(じんぎ)に飽(あ)くを言(い)うなり。人(ひと)の膏(こう)粱(りょう)(※)の味(あじ)を願(ねが)わざる所以(ゆえん)なり。令聞(れいぶん)(※)広誉(こうよ)(※)身(み)に施(し)く(※)。人(ひと)の文繡(ぶんしゅう)(※)を願(ねが)わざる所以(ゆえん)なり。

(※)貴き……ここでは、広く、すばらしいとか尊重されるとかの意味をいう。ほかにも地位、身分が高いことを指すことがある(こっちのほうが普通である)。後に出てくる「人の貴くする所の者」などはその例である。『論語』の次にある「貴」も世俗の地位の高さを言っている。「子(し)曰(いわ)く、富(とみ)と貴(とうと)きとは、是(こ)れ人(ひと)の欲(ほっ)する所(ところ)なり。其(そ)の道(みち)を以(もっ)て之(これ)を得(え)ざれば処(お)らざるなり」(里仁第四)。この孔子の教えを格調高く「天爵」と「人爵」に分けて言っているのが、ここでの孟子である。
(※)趙孟……晋の卿の趙氏のこと。権勢があり、人の地位を平気で上げ下げしたようである。
(※)膏粱……おいしいもの。ごちそう。「膏」は肥肉、「粱」は美穀。
(※)令聞……良い評判。
(※)広誉……高い名誉。
(※)施く……身に加わっている。
(※)文繡……美しい飾り。

【原文】
孟子曰、欲貴者人之同心也、人人有貴於己者、弗思耳、人之所貴者、非良貴也、趙孟之所貴、趙孟能賤之、詩云、旣醉以酒、旣飽以德、言飽乎仁義也、所以不願人之膏粱之味也、令聞廣譽施於身、所以不願人之文繍也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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