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第7回

立つケアを可能にする補助リフト

2019.11.18更新

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 科学ジャーナリストが見た、注目のケア技法「ユマニチュード」の今、そして未来。『「絆」を築くケア技法 ユマニチュード』刊行を記念して、本文の第1章と、日本における第一人者・本田美和子氏インタビューを特別公開! 全18回、毎週月曜日(祝日の場合は火曜日)に更新します。
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 別の部屋ではジネスト氏が男性の入居者のケアの援助を始めようとしていた。モースさん(仮名)。この施設でケアをなかなか受け入れてもらえない入居者2人のうちの1人だという。ジネスト氏が、スタッフのオディールさんに立位補助機を使うことを提案する。「立っているときには、周りに注意が向くのでいつもならできないことをさせてくれることがあります」。記録簿を確認すると、男性が立つことができる時間は40秒未満。40秒以上立つことが目標となっている。嫌がったらやめること、「見る」「話す」「触れる」を同時に2つ以上使うことを意識することを申し合わせ、ケアを始める。
「トントントン、トントントン、トン」。ノックをして「ボンジュール」と言いながら部屋に入る。ベッドの側でオディールさんが様子をうかがう。起きていないようだ。ジネスト氏が側に寄る。私たちに「起きなかったら、また後で来ましょう」と言って、話しかけた。「おはようございます、モースさん。イヴと申します。目を開けてもらえませんか。少しだけ」。反応がないようだ。オディールさんが何か言い、ジネスト氏が「少し布団を取りますね」と話しかけながら毛布を少し下げた。「ボアラ(いいですね)」。ジネスト氏の声が大きくなった。「起きていらっしゃいます」。布団の中の手が動いたのだろうか。こちらからはうかがい知れない。ジネスト氏が手を握りながら言った。「おはようございます。モースさん。朝ご飯の準備ができているから支度をしましょう」。
 毛布をはずし、ベッド上で着替えが始まる。男性は動かない。オディールさんが話しかけている。「モースさん、パンツをおろしますよ」「あ、いいですね」「モースさん、○×△」。着替えに合わせ、男性の足が少し上がった。「メルシー」。オディールさんがモースさんの上半身を抱きかかえるように手を回し、近くで話を始めた。「モースさん、私の目を見てください」「そうです」。モースさんは軽く目を開けているが、反応しているようには見えない。オディールさんは話を続けている。
 毛布をはずし、ベッド上で着替えが始まる。男性は動かない。オディールさんが話しかけている。「モースさん、パンツをおろしますよ」「あ、いいですね」「モースさん、○×△」。着替えに合わせ、男性の足が少し上がった。「メルシー」。オディールさんがモースさんの上半身を抱きかかえるように手を回し、近くで話を始めた。「モースさん、私の目を見てください」「そうです」。モースさんは軽く目を開けているが、反応しているようには見えない。オディールさんは話を続けている。モースさんが、ほんのわずかうなずいたのが見えた。「トレビアン」。
 位補助機をベッド脇に用意し、男性に話しかけながら座る姿勢を作って足を乗せる。手をハンドルに乗せ、腰の後ろにベルトを回し、「モースさん、しっかり立ってください」「顔を上げてください」とジネスト氏が何度も話しかけながら、スイッチを入れる。ハンドルが上がり、男性の腰がベッドから浮いた。腰は曲がっているが立った状態になった。オディールさんが「トレビアン」と声をかける。
 お尻を拭き、下着とズボンを上げる。ジネスト氏が「しっかり立ってください」と繰り返している。立位補助機を動かし、車椅子を膝の後ろに寄せ、スイッチを入れる。ハンドルが下がり、男性が車椅子に座った。
 ジネスト氏が参加者に解説する。「立っている状態で保清をすることが重要なので立位補助機を使いました」。
 続いてジネスト氏は車椅子に座っている男性の正面にひざまずき、肩に手をかけながら話しかけた。「洗面所に行きましょう。オーケー?」。ジネスト氏が手を出すと、男性の右手が動き、手と手が重なった。表情からは読み取れないが、聞こえているようだ。ジネスト氏とオディールさんが喜びの声を上げた。
 洗面所に移動して保清が始まった。声をかけながら上半身の服を脱がし、ミトン形のタオルを見せて「見てください。手を入れてください」と言いながら、右手にかぶせる。「顔を拭いてください」。男性が顔を自分で拭いた。オディールさんが「すばらしい」。いつもはできないのに、と驚いて喜んでいる。
 ジネスト氏が解説する。「ケアのゴールはきれいにすることではなく、1人でやること、できないときは手伝うことです」。
 ジネスト氏が右腕を拭き始める。「反対の腕いきますね」。今度は左腕だ。「モースさん、腕を上げてください」「モースさん、背中を拭きますね」と声をかけていく。参加者に向かって「まずお願いをします。彼がこれ以上できない場合には私がしますが、身体を動かせない彼の代わりに私がするのです」とジネスト氏。今度はオディールさんが背中を拭く。ジネスト氏が「いいですね、マッサージです」。
 トレーナーを着ると、ひげそりが始まった。「顎を上げてください、そんな感じ。そりますよ」。しばらくすると男性が手を上げてふりはらった。「いいですよ」。ひげそりを中断する。どうも嫌いなようだ。
 支度が終わった。「朝食を食べに行きましょう」。部屋を出た。廊下で車椅子を止める。歩行の練習が始まるようだ。オディールさんが男性に話しかける。顔を近づけ「モースさん、少しだけ立ってみましょう」。男性は左手を頬に当て、右手を腿の上に置き、うつむいている。足を車椅子から下ろす。ジネスト氏が「絶対に無理はしません。難しいと思ったら止めますから」。手を貸してくださいと言いながら、オディールさんとジネスト氏が右手と左手を取り、「大丈夫です」と伝えた。「しっかり立ってください」。男性が立ち上がった。「すばらしい」。しかし、すぐに車椅子に座ってしまった。「ブラボー、ありがとう」とジネスト氏が男性に話しかけた。オディールさんと男性が車椅子で朝食会場に向かった。廊下でケアの相談が始まってから、ちょうど30分が過ぎようとしていた。ジネスト氏が言う。「私が2年前にここに来たとき、彼は椅子に自分で座れましたが、今はできなくなってしまった。筋力が足りません。エネルギーが失われてしまっています。彼はいつも眠そうだとスタッフは話しています。生きる意欲を失ってしまったのかもしれません」。

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著者

大島寿美子/イヴ・ジネスト/本田美和子

【大島寿美子(おおしま・すみこ)】 北星学園大学文学部心理・応用コミュニケーション学科教授。千葉大学大学院理学研究科生物学専攻修士課程修了(M.Sc.)、北海道大学大学院医学研究科博士課程修了(Ph.D)。共同通信社記者、マサチューセッツ工科大学Knight Science Journalism Felloswhipsフェロー、ジャパンタイムズ記者を経て、2002年から大学教員。NPO法人キャンサーサポート北海道理事長。 【イヴ・ジネスト】 ジネスト・マレスコッティ研究所長。トゥールーズ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。 【本田美和子(ほんだ・みわこ)】 国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職。

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