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叢のものさし 小田康平

第4回

植物の個性

2018.05.10更新

読了時間

【 この連載は… 】 植物選びの基準は「いい顔」をしているかどうか……。植物屋「Qusamura(叢)」の小田康平さんが、サボテンや多肉植物を例に、独自の目線で植物の美しさを紹介します。植物の「いい顔」ってどういうことなのか、考えてみませんか?
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瑠璃丸モンストローサ。瑠璃丸という大型の玉サボテンが突然変異を起こし、稜間が複隆したもの。サボテン特有の幾何学的な刺や稜の配列は崩れ、均整が乱れた。下部の肌は経年変化し重厚感を纏い、唯一無二の圧倒的な存在感を放つ。鉢は陶芸家、小野哲平氏の作品。植物の個性を浮かび上がらせながら、サボテン同様、時間を凝縮させたような味わいが滲み出る。

小さなからだに刻み込まれた傷痕や木化という経年変化を尊重し思いを馳せる

「植物のいいところは?」
と聞かれたとき、個性的なところ、と答える。

人や動物は移動することができ、感情表現がある。性格によってさまざまな個性がある。

では、植物はどうだろうか。移動をしないことを決め、大地に根付き、静かにゆっくりと生長を重ねる。生長が遅いため動いていることすら感じづらい。その代わりに植物は環境によって形を大きく変える。同じ種類でも、たくさん枝葉があるものや、幹や茎が太いもの、小さなものや大きなものまで実に多様だ。ゆえに独自の環境や時間の長短で形や肌に個性が現れる。ある意味、ほぼ決まった形である人や動物よりも、植物には個性豊かな表情が出るのだ。

これまで、そして今でも流通している植物の多くが、種類や大きさによって価値が決まる。

そのものの個性なんて、問われない。淡々と名前とサイズだけで価値が決められ、姿形が歪なものは価格が付けられるどころか流通に乗らずはじかれてしまう。だが、環境によって姿形を千差万別に変化させることは植物のとても大きな魅力的特徴の一つであって、その点を評価せずに本当に種類や大きさだけで植物の価値を決めつけてしまっていいのだろうか。育つ過程で蓄えられた時間やユニークなシルエットは美しさとして、個性として、価値は無いのだろうか。

僕は、幸運なことに叢という植物屋をはじめた頃から、多くの美術品に触れる機会に恵まれてきた。骨董品や現代美術、写真や書、博物館に並ぶような貴重なものなど幅広い。ごく身近に、とてもスケールの大きなアートコレクターの存在があったからだ。毎朝コーヒーを飲みながらさまざまなものの見方についてその方の話を伺った。数千年前の土器と現代の陶芸家の作品の異なる魅力や、表面的美しさとは別にある背景のおもしろさなど挙げるとキリがないほどだ。その話の中で骨董品の価値の定め方と、自分自身の植物の選び方がよく似ていると感じた。骨董品にもあらゆる価値の付け方があるだろうが、その方は見た目のきれいさよりもそのものの背景や傷に興味を持っていた。

写真で三つの骨董品を挙げた。左から順に、一つは現代のマリ共和国ドゴン族の祈祷用の階段、一つはマリ共和国の中世の土器、一つは日本の古墳時代の朽ち果てた埴輪。それぞれのよさを一つひとつ語ることはここではできないが、共通して言えるのは、時間を帯び、摩滅して当時の姿ではない肌やシルエットになったにも関わらず、存在感を増し背景にあるストーリーを感じさせ、より魅力的になったということだ。

植物は定められた環境で生き抜く。その場所がその植物にとって過酷だったとしてもからだを歪ませ、傷つきながら生きていく。そうしてできあがった造形は大きな魅力だと思う。 僕はいつも植物に触るとき、小さなからだに刻み込まれた傷痕や木化という経年変化を尊重し、思いを馳せながら手に取るようにしている。

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この連載は、「月刊フローリスト」からの転載です。
最新話は、「月刊フローリスト」をご覧ください。

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著者

小田康平

1976年、広島生まれ。2012年、〝いい顔してる植物〟をコンセプトに、独自の美しさを提案する植物屋「叢-Qusamura」をオープン。国内外でインスタレーション作品の発表や展示会を行う。最新作は、銀座メゾンエルメス Window Display(2016)。http://qusamura.com

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