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よみものどっとこむ

第2回

人間は生まれた瞬間から「生きるため」に選択をする

2017.02.24更新

読了時間

【 この連載は… 】進学、就職、結婚、人間関係……人生は分岐点の連続。「優柔不断」「後悔」をきっぱり捨てるブッダの智恵を、初期仏教長老が優しく説きます。韓国語版出版&電子書籍1000冊突破を記念して、書籍の冒頭部分を特別公開いたします。

第1章 人生は選択の連続である
──「悩みの種」はどこから来るのか?

■人間は生まれた瞬間から「生きるため」に選択をする


「生きる」というのは、さまざまな選択の連続です。人間は生まれてから死ぬまで、小さなこと大きなこと、じつにさまざまな選択をしています。

 人生最初の選択は、この世に生まれた瞬間にするのです。

 お母さんの胎内にいるとき、赤ちゃんは肉体だけで、何も要りません。呼吸もしていないし、何かを食べて栄養を摂る必要もない。その何もしなくていい環境から外に出ることになると、いろいろなことをしなくてはならなくなります。

 まず、呼吸しなければいけない。呼吸がちゃんとできるかどうかは、まさに死活問題です。生まれて初めて肺に空気を吸い込んだ瞬間に、赤ちゃんは「オギャー」と泣きます。これが最初に行う選択です。

 カラダの仕組みがそうなっていて本能的にやっていますが、すべての赤ちゃんが自然に呼吸を始めるわけではありません。自発呼吸のできない赤ちゃんもいます。泣き声をあげない赤ちゃんは、お医者さんがポンポンと叩いたりして刺激を与え、呼吸を始められるようにします。

 生まれたら、栄養も自分で摂らなければいけません。そこで赤ちゃんはおっぱいを飲みます。ところが、たまにおっぱいをうまく吸えない赤ちゃんがいます。吸う力がなかったり、乳首をくわえられなかったりすることがあるのです。栄養が摂れなければ、カラダも順調に成長できませんから、生存が脅かされることになりますね。お母さんは、どうしたらうまく飲ませられるかを一生懸命考えます。

 生命は、みな生きようとする力を持っています。生きたくない生命はありません。ですが、そこには個人差があります。「生存の危機を避けるため」の選択、「生きていくため」の選択がなされなければならないのです。

 赤ちゃん自身は何もわかりませんから、たいていのことは泣いて訴えます。そうすれば「どうして泣くんだろう?」と親が想像して、あれこれ対処してくれます。泣けば、不快なことをいろいろ解決してもらえます。だから、泣くという判断をし、行動を選択するのです。「判断」というと、頭で考えてすることのように思うかもしれませんが、本能によって反射的にやっていることもみな判断による行動です。

 しかし、お腹が空いたら泣けばいい、おむつを換えてほしかったら泣けばいいといった、それさえ充たされれば生きていける〝楽ちん〟な時期はそうそう続きません。成長の過程で、いろいろなことを自分でやるようにと躾けられていきます。自力で生きていけるようにするために。

 それと同時に、自分の感情、自分の思い、「自我(エゴ)」というものが入ってきます。これが曲者なのです。


■自我があるから悩む


 3、4歳になると、保育園や幼稚園に行かされますね。最初から行きたくてたまらない子なんていないのです。家にいたほうが、安心で心地よいし、楽しい。家族は自分をいちばん大事にしてくれて、わがままを言っても〝王様〟のふるまいが許されるのですから。

 それが、自分と同じような〝小さな王様〟たちが集まってくる場所で一緒に過ごすことになるのです。自分がいちばん大切にされている環境から、自分なんてどうということのない環境に放り込まれるわけですから、ものすごいショックを受けます。なかには、ストレスから赤ちゃん返りをしてしまい、もう完全におむつが要らなくなっていたのに、なぜかまたお漏らしをしてしまうようになる子もいます。

 だけど、これは自分の好き勝手が通用する世界ではないんだということを一つひとつ学んで、自我と葛藤しながらものごとを判断するようになっていくのです。ブランコで遊びたいときに他の子が乗っていたら、泣いて地団駄踏んだり駄々をこねたりせずに、きちんと順番を待って交代で乗るとか、そういう他者と共存していくためのルールを覚えていきます。

 環境に慣れ、友だちとも仲良くできて、楽しく毎日が過ごせるようになったころには、もう卒園です。こんどは小学校に入って、また新しい環境でいろいろ苦労をしなければならない。

 同じようなことが、中学校、高校、大学、そして、社会に出ても繰り返されます。

 自分で「ここに行こう」と決めて入った学校や会社のはずなのに、いろいろなことで悩んで、苦しんで、後悔したり、逃げ出したくなったりするのです。

 どうしてでしょうか。

 その原因のほとんどが自我にあります。自分の感情というものにこだわらなくなればもっとラクになるのですが、人間には感情が付き物です。仏教では「自我のない世界」に生きることを目指して修行をしますが、世間一般には自我のない人はまずいません。自分がかわいい。自分が大事。みんな自我があるがゆえに、悩みや苦しみを深くしているのです。


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著者

アルボムッレ・ スマナサーラ

スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、80年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程で道元の思想を研究。現在、宗教法人日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事し、ブッダの根本の教えを説きつづけている。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHKテレビ「こころの時代」などにも出演。著書に『自分を変える気づきの瞑想法【第3版】』『ブッダの実践心理学』全8巻(藤本晃氏との共著、以上、サンガ)、『怒らないこと』『無常の見方』『無我の見方』(以上、サンガ新書)、『執着の捨て方』(大和書房)など多数。

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