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よみものどっとこむ

第7回

善悪にも感情が入り込む、だから世界はトラブルが絶えない

2017.03.31更新

読了時間

【 この連載は… 】進学、就職、結婚、人間関係……人生は分岐点の連続。「優柔不断」「後悔」をきっぱり捨てるブッダの智恵を、初期仏教長老が優しく説きます。韓国語版出版&電子書籍1000冊突破を記念して、書籍の冒頭部分を特別公開いたします。

■善悪にも感情が入り込む、だから世界はトラブルが絶えない


 「善か悪か」の判断は、わりと普遍的なもののように思えますね。けれども、その判断基準も、時代や社会の価値観、考え方で違います。

 人を殺すことは、悪です。誰が考えてもそういう判断になりそうなものなのに、戦争に行って人を殺すと英雄扱いです。勇敢に戦ったといって、勲章がもらえたりするのです。どういうことでしょうね、おかしいじゃないですか。

 一方、延命措置によってかろうじて生かされているだけの人がいて、「これはもうどうしようもない、もう治療法もないですし、本人がただ苦しんで生き永らえるだけですから器械を外しましょう」ということで医者が器械を外すと、日本では殺人罪になってしまいます。

 人間の命ということひとつとっても、善悪の判断はこれほどまでに変わるのです。なぜ、こんなことになってしまうのでしょうか。それは、言葉によって感情に訴える話にすり替えられているからです。

 大事な家族の生命の火を消す選択をするなんて、人の生命を救うのが仕事である医者がやっていいのか、という感情が作用すると、そういうことになってしまうのです。

 「他国から攻められたら、どうしますか? 国民の命と平和な暮らしを守るためには戦争ができるようにする必要があるんです」。こんな理屈で、政治家が憲法解釈を変えました。戦争ができるようになるということは、人を殺せるようにすることです。理性で考えたら、こんな理屈は成り立ちません。しかし感情というのは人それぞれですから、感情論だとそこに共感する人もいるのです。

 政治家とか権力者は、自分たちの都合のいい社会にしていきたいと考えているときに、こういう感情に訴えるやり方で人の心を動かそうとします。感情は人の心を誘導しやすく、洗脳しやすいからです。

 イスラム国(IS)がさまざまな問題行動を起こしています。彼らのやっていることは怒りや憎しみの感情による行動です。多くの人がそんなISのやり口を「残虐だ、許しがたい」と思っています。でも、なかにはISの主張に共感して応援しようとする人たちも出てきて、イスラム教徒でなくてもISに入ろうとする人もいます。

 自分たちが生き延びるためには、相手をやっつけないといけないんだという感情論も、いかにも正義ぶった表現で言葉にすると、あたかもその通りであるように思わされて信じてしまう人がいるのです。

 理性が通じない人間というのは、狂った野獣状態です。獣は普通、腹が減ったときにしか獲物を襲いません。ライオンは、空腹でないときに目の前をガゼルが通っても手を出しません。ところが人間の場合、狂気に走ると何の理由もなく人を殺します。獣以下になるんです。何がそんなことをさせるのか。憎しみ、怒りの感情です。

 世界はいまだに感情で動いています。

 どこまでが自分たちの領土であるとか、もっと自由に貿易ができるようにしろとか、ものの考え方が食い違って気に入らないとか、各国が自分たちの都合ばかり言い合っています。自我というのは個人だけでなく、国家ベースでもあるのです。

 欲というのは恐ろしいものですね。地球は誰のものでもありません。人間はみんな地球の一部分を借りて一時住まわせてもらっているだけなのに、自分たちの権利ばかり主張します。自分たちの利益になることばかり考えています。そんなことだから、争い、諍いが絶えないのです。

 感情でものごとを判断して、いい方向に進むわけがないのです。


■理性を磨くために必要なこと


 では、どうすれば理性を磨いて正しい判断、正しい選択ができるようになるのでしょうか。

 そのために必要な資質は、大きく3つに分類できます。


 ①自我に気づき、客観的な視点を持つこと

 ②自分の意思を明確に持つこと

 ③正確な知識や情報、データを得ること


 感情による判断、自我によるふるまいというのは、仏教的な立場から言うと、「自分のことしか見えない」という障害です。そういうものを持って人間は生まれてきます。

 感情をなくせないように、「自我を捨てる」のは難しいことです。世間一般の生活から離れて、仏僧として修行に励んでいても、なかなか難しい。ですが、「自我というものは錯覚である」と気づくことはできます。錯覚なんだから、それを根拠に判断したり選択したりするのは愚かなことだ、自分を不幸にすることでしかない、と気づくことで、自我に囚われた自分の考え方を変えていけるのです。

 まずは自我に気づくところから、理性が始まるのです。

 2番目の「自分の意思」というのは、わりと誤解されやすいところです。感情で判断してはいけませんというと、「自分がこうしたい」「こういうことを目指したい」という意志を持ってはいけないことだと勘違いする人がいるんですね。確かに、「こうしたい」という気持ちは、欲や怒りの感情から生まれることもあります。しかし、ひとりの人間として「こういうことを自分はやっていきたいんだ」というはっきりとした意志がなければ、何かを実現していこうとする強いエネルギーが出ません。自発的な「意欲」「やる気」がなければ行動を変えていけないのです。

 そして3番目が、知識の大切さです。正しい選択のためには、客観的で正確な知識や情報を知っておかなくてはなりません。判断基準となるデータに偏りがあったら、最良の選択には絶対にたどりつけませんからね。

 この3つのポイントが大事なんですが、さらにもうひとつ必要なことがあります。それは、われわれは立ち止まってはいけない、つねに成長しなくてはいけない、進化していかなくてはいけない、ということ。

 生命というのは、この世に生を享けたからには「もうこれでいいよ」とあきらめてはいけないのです。絶えず成長しなければいけない。それが進化しつづけるということ、すなわち生き残っていくということです。変化を止めてしまったら、それは衰退に向かう道なのです。

 成長していくことが幸福に生きること。そういう大前提のもと、その目的を達成できるような道が本当の「善」であり、その目的から外れる道が「悪」であると考えなければなりません。

 まずは自我を知ることからスタートしましょう。


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著者

アルボムッレ・ スマナサーラ

スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、80年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程で道元の思想を研究。現在、宗教法人日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事し、ブッダの根本の教えを説きつづけている。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHKテレビ「こころの時代」などにも出演。著書に『自分を変える気づきの瞑想法【第3版】』『ブッダの実践心理学』全8巻(藤本晃氏との共著、以上、サンガ)、『怒らないこと』『無常の見方』『無我の見方』(以上、サンガ新書)、『執着の捨て方』(大和書房)など多数。

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