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よみものどっとこむ

第6回

理性は育てていくもの

2017.03.24更新

読了時間

【 この連載は… 】進学、就職、結婚、人間関係……人生は分岐点の連続。「優柔不断」「後悔」をきっぱり捨てるブッダの智恵を、初期仏教長老が優しく説きます。韓国語版出版&電子書籍1000冊突破を記念して、書籍の冒頭部分を特別公開いたします。

■理性は育てていくもの


 理性は、生まれつき持っているものではありません。学ばなければいけないもの、育てるものです。

 躾とは、理性を教えているのです。「やりたいだろうけど、これをやってはいけませんよ」「こういうときには、こうしないといけませんよ」と、社会で生きていくために不可欠なマナーやルールを教える。

 幼い子どもに何も教えないと、食事の最中も席から立ってあちこち動き回ります。まだ器に食べ物が残っていても、感情はもう次に何して遊ぼうかということしか考えていません。外から家に入るとき、靴を脱ぎ散らかします。片方の靴は玄関の外に、もう片方は家の中に転がっていたりします。ただ早く家に入りたいということしか考えていないのです。そういう子どもに、「食事のときはちゃんと席について食べなさい」「残さずに食べなさい」とか、「脱いだ靴を揃えなさい」と教え込むことで、一つひとつ学習していきます。

 まともな人間になるということは、理性がどの程度、身についているかということです。それは親の躾、学校での躾の程度によりますから、どこまで理性がきちんと身についているかというのは人によってそれぞれですけどね。

 学べば学ぶほど、いろいろなものごとを知れば知るほど、理性のレベルは上がっていきます。理性の能力が上がると、感情でする判断が減り、間違いが少なくなります。

 自分の選択が正解だとなると、そこに喜びが生まれます。うまくいっていると思えるからです。この「うまくいってるんだ」という喜びは、単純な好き嫌いの感情とは違うものです。自分の中に湧き上がるそのときどきの衝動的欲求をコントロールして、正しい行いができたという充実感です。

 その充実感が、また次の正解を出すこと、次の正しいふるまいをすることにつながっていきます。

 糖尿病の人で言えば、食生活に注意するようにしたら血糖値やヘモグロビンA1cの値が下がった、最近わりと調子がいいということになると、それは正しい行いができた喜びになります。そうすると、その人は食べるものだけでなく、睡眠の取り方にも注意して夜型の生活から朝型の生活に変えるようになります。早起きすると気持ちがいいので、やらなければいけないことが捗るようになります。そういう生活によって、ストレスを溜め込まなくなります。こうなっていくと、たとえ糖尿病であるという状態は変わらなくても、その人は以前より幸せ度が上がっていくのです。

 本当は、病気になる前にそういう生活習慣の大切さに気づけばよかったのですが、人間というのは生命の危険を感じるような状況になって初めて大事なことに気がつくことが多いものなのです。

 なにげなく選択していることが、すべて正解であるということであれば、その人は幸せです。そういうところまで理性を育て上げなければいけないのです。


■ポジティブな感情なんてまやかしだ


 よく「感情といっても、憎しみや怒りのようにネガティブなものばかりではなくて、ポジティブなものもありますよね」と言う人がいます。

 しかし、感情というのはすべて主観ですから、どんなに明るく前向きに見えても、やっぱり自己中心的なもの、わがままなものなのです。一見ポジティブのように思えても、自分に都合のいい理屈をくっつけて、正しい判断能力を鈍らせます。ですから、感情でする判断はすべて悪なのです。

 最近はとくに、「ポジティブな感情」というものをやたらともてはやす傾向がありますから、それで勘違いしている人が多いんです。

 いくら「なんて魅力的な人だろう」と思ったからといって、その女性にいきなり抱きついたら、痴漢です。感情の赴くままにそんなことをして楽しいでしょうかね。それを相手が喜んでくれますか? そんな展開にはならないでしょう。

 そうではなくて、その相手と仲よくなる努力をして、お付き合いするようになって、正々堂々と抱きしめたりキスしたりできるようになる。そこで湧いてくるのが人間としての本当の喜びです。

 感情ではなく理性で行動するということは、そういうプロセスを経ることです。手間がかかる。時間がかかる。だからそうできたときのうれしさも大きいのです。

 感情はどんどん流れていくものです。そのときに、言葉が果たすものも大きく影響しています。何かを感じたり思ったり考えたりするとき、私たちはそれを言葉にしますね。言葉というのはいくらか論理的なもののように思えるものですから、それがまともな考えであるかのように思えてしまうのです。とんだ大間違いでも、言葉ではいくらでもうまいことが言えてしまう。自分に都合のいいように、話をどんどんすり替えてしまうのです。そして、あたかもそれが正当であるかのような理屈を後からくっつけてしまいます。

 感情的であることを、情緒、情感が豊かであると勘違いしている人がいますが、それも違います。先ほども言ったように、感情はなくならないのです。しかし理性のレベルが向上して、何でも理性で判断し行動できるようになると、その感情を自分の利益に結びつけるような発想をしなくなります。感情と行動を切り離すことができるようになるのです。

 ところが、まだ理性がきちんと確立していない人の場合は、判断・行動に自分の感情が操作をしてしまう。だから、感情を大事なものだなどと思ってはいけないのです。

 感情があるということと、感情で判断をしていいことは違うのです。


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著者

アルボムッレ・ スマナサーラ

スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、80年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程で道元の思想を研究。現在、宗教法人日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事し、ブッダの根本の教えを説きつづけている。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHKテレビ「こころの時代」などにも出演。著書に『自分を変える気づきの瞑想法【第3版】』『ブッダの実践心理学』全8巻(藤本晃氏との共著、以上、サンガ)、『怒らないこと』『無常の見方』『無我の見方』(以上、サンガ新書)、『執着の捨て方』(大和書房)など多数。

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