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よみものどっとこむ

第3回

トラブルの原因になるのは「自我の侵害」

2017.03.03更新

読了時間

【 この連載は… 】進学、就職、結婚、人間関係……人生は分岐点の連続。「優柔不断」「後悔」をきっぱり捨てるブッダの智恵を、初期仏教長老が優しく説きます。韓国語版出版&電子書籍1000冊突破を記念して、書籍の冒頭部分を特別公開いたします。

■トラブルの原因になるのは「自我の侵害」


 たとえば、小学生の男の子が新しいシャープペンシルを買ってもらってうれしくてニコニコしながら使っていたら、となりの席の子が「貸して」と言います。相手がお互いに認め合っている仲のいい人だったら、そこでたいした問題は起きないのです。「カッコいいなあ」とか「使いやすいなあ」と言ってなかなか返してくれなくても、「いいだろ?」と笑っていられる。そんなことを言い合っているのが、楽しかったりするのです。

 ところが、相手がいつも自分にイヤなことを言ったりやったりする人だと、話はまるっきり違ってきます。なかなか返してくれないと、「僕の邪魔をしている」とか「僕の新しいシャープペンシルを取ろうとしている」と感じます。自分の自我が侵害されている、という受けとめ方になるのです。

 仲良しの友だちが自分の靴を履いて帰ってしまっても、「○○くんが履いてっちゃったんだよ」と平気でいられます。でも、自我を侵害してくる人にやられると、たいへんな苦痛になるんです。

「靴を持って行かれた」「盗られた」となる。「意地悪をしてやろう、困らせてやろうと思っているんだ。これはいじめだ」ということになる。同じ行為であっても、自我が認められているのか、侵害されているのか、その感じ方で大違いなのです。

 実際に相手がどういうつもりでやっているかはあまり関係ないんですね。問題は「自我が攻撃を受けている」と感じるかどうかにあります。

 いじめ問題というのは、自我が否定されたと感じるところで起きるのです。ものを隠された、壊された、無視された、殴ったり蹴ったりしてカラダを傷つけられた、無理やり何かを強要された……いじめにもいろいろなかたちがありますが、その裏にあるのはすべて「自我の否定」なのです。

 会社がイヤになるのも、問題の根っこにあるものは同じです。厳しい入社試験を突破して入った会社なのに、3年も経たないうちになぜ辞めたくなってしまうのか。「自分に合った仕事をさせてもらえない」とか「人間関係に疲れた」とよくいいますが、その裏側には、自我が否定されているという思いがあるのです。

 結婚生活を穏やかにつつがなく送れるかどうかも、自我の問題が大きく関係してきます。意見が衝突してケンカをしても、折り合いがつけば夫婦関係を続けていけます。でも、自我が否定されたと感じると、「この人とはもうやっていけない」と離婚を考えるようになります。

 人間社会のトラブルの原因のほとんどは、自我のぶつかり合いによるものなのです。

 われわれが楽しいと思うのは、自分の自我を認めてくれる人と一緒にいるときです。世の中の大多数の人は、自分の母親に深い愛着があって、母親を大事にしようとします。なぜなら、自分の自我を誰よりも認めてくれるのが母親だからです。どんなに性格が悪かろうが、母親は自分を認めてくれる。だから、このうえなく大切な存在なのです。

 社会で友だちを作ろうとするのは、自分の自我を受け入れてくれる人を探しているのです。自分の自我を認めてくれる会社はないか、自分の自我を認めてくれる結婚相手はいないかと思って、つねに探すのです。

 けれども、自我というのは結局のところ「自分がいちばん大事」という感覚ですから、そういう感情を強く持っている限り、本当に他者と互いに認め合うことはできません。つまりは、みんな手に入らないものを求めているということなのです。


■結婚を遠ざける「もっといい人がいるかも」幻想


 そのわかりやすい例が結婚です。

 30歳くらいになって、結婚したいと思っている人がいます。出会いを求めて、いろいろ合コンにも行くわけですね。そして話の合う相手と知り合う。「では結婚に向けてお付き合いしましょうか」となると、「いやいや、ちょっと待ってください」となぜか躊躇する。どうしてかというと、「まだこれから、もっといい人が見つかるかもしれない。もっとじっくり探したほうがいいんじゃないか」と思うからだというんですね。

 おかしいじゃありませんか。気に入った相手を見つけて結婚しようと思って、合コンに行ったはずです。そして希望どおりいい人と知り合えたのですから、そこで優柔不断になる必要はないでしょう?

 なのに、そういう人がいる。これもまた自我のせいです。

「もっといい人がいるかもしれない?」、それは幻想というものです。「ひょっとしたら、もっと性格が優しくて、大金持ちの男性に出会えるかもしれない」とか、「ミスジャパンになった女性と出会えるかもしれない」とか、妄想の中ではどんなことでも考えられるのです。しかし、現実にはそんなおとぎ話は起こりません。現実が見えていないのです。

「そんなバカなことを考える人がいるの?」とあなたは笑うかもしれませんが、他人の自我のゆがみや滑稽さはよくわかるのに、自分の自我にはなぜかちっとも気づかないということがけっこうあるんですよ。

 客観的に、冷静に、理性で考えられる人は、そんなことはしません。出会えた人と結婚して、うまくやっていくにはどうしたらいいかを考えます。素晴らしい人を見つけなければ幸せな結婚ができないのではなくて、結婚する相手と素晴らしい家庭を築いていけば、幸せになれるのです。

 結婚するときはみんな、自分たちはきっと幸せになる、別れることなんて絶対にない、と思って決断します。それなのに、あとになってから、「あ~あ、どうしてこの人と結婚しちゃったんだろう。もっと合う人、もっといい人と結婚できたかもしれないのに……」と、またくだらない妄想をたくましくしてしまうこともあります。

「もっといい人が」と考えるのは、「自我愛」という名の病気です。そんな病気の素は頭からさっさと追い払って、目の前の相手と仲良く暮らすことを考えるほうがいいのです。

 結婚したら、その結婚生活を幸せに生きることが自分の仕事なのですから。

 自我とは、じつに厄介なものです。


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著者

アルボムッレ・ スマナサーラ

スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、80年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程で道元の思想を研究。現在、宗教法人日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事し、ブッダの根本の教えを説きつづけている。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHKテレビ「こころの時代」などにも出演。著書に『自分を変える気づきの瞑想法【第3版】』『ブッダの実践心理学』全8巻(藤本晃氏との共著、以上、サンガ)、『怒らないこと』『無常の見方』『無我の見方』(以上、サンガ新書)、『執着の捨て方』(大和書房)など多数。

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