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よみものどっとこむ

第8回

「囚われ」から自由になる練習

2017.04.07更新

読了時間

【 この連載は… 】進学、就職、結婚、人間関係……人生は分岐点の連続。「優柔不断」「後悔」をきっぱり捨てるブッダの智恵を、初期仏教長老が優しく説きます。韓国語版出版&電子書籍1000冊突破を記念して、書籍の冒頭部分を特別公開いたします。

第3章 自我に気づくための思考レッスン
──人のふり見てわが自我を知れ


■「囚われ」から自由になる練習


 理性に必要なものの第一に、「自我に気づくこと」を挙げました。みんな他の人の自我には気づきます。それは、他人のことは客観視できるからです。客観的な視点を持とうといっても、自分のことだとなかなかできないのです。

 仏教というのはきわめて科学的です。何か問題が起きたときに、拝めば解決するというような非科学的な考え方はしません。何事も「原因」があるから「結果」があるのです。問題があるところには、必ず問題を起こすような「原因」があります。その原因を突き止めて「対策」を講じれば、問題は「解決」する、と考えるのです。

 問題、すなわち「苦」の種をつくっているのは自分自身ですから、自分を観察すれば、自ずと対策も見え、解決の道も開かれます。

 ですから、仏教では「自分を観察しなさい」と言っています。

 自分を観察して、いまの苦しみの原因になっているのが「自我」のせいだと気づくと、それが自分の妄想の産物、錯覚でしかないことがわかります。自我に囚われなくなると、問題の本質がシンプルになって、解決策が見つかりやすくなります。誤った選択をしなくなるのです。

 まずは自分が日常、どんなふうに自我を持ってしまっているか、冷静に観察してみましょう。


■自我はあなたを幸福感から奈落に突き落とす


 たとえば、出かけるときに「今日は何を着て行こうか」と考えますね。どういう目的で、どういうところに行くのか、誰と会うのか、気にするのはTPOだけではありません。そこで自分がどう見られるか、ということがとても気になります。

 男性よりも女性のほうがあれこれ選択に悩むようです。出かける場所がパーティーの席だったりすると、いっそう大変。鏡を見ながら何度も服を取っかえひっかえし、アクセサリーはどれにしよう、靴は、バッグはと一生懸命コーディネートして、自分で納得いくまで装いを選びます。ですから、出かけるときは自分のお洒落に自信があり、颯爽とした気分です。

 会場で友だちに会いました。彼女は、最新の流行の素敵な服を着ています。大きなダイヤのネックレスをしています。ブランドものの高そうなバッグを持っています。それを見た瞬間に、それまでの幸福感、満足感がすべて消えてしまいます。友だちはキラキラしているのに、自分は全然そうではない。自分がみじめに思えてしまうのです。

 いちばん似合っているはずの服が、何年も前から着ているダサい格好に思え、つけている小さなダイヤのネックレスを隠したくなります。顔からは晴れ晴れとした笑みが消え、なんとなく背中がまるまって、うつむきかげんになってしまいます。そのパーティーがまったく楽しめません。

 どうしてこうなってしまうか、ここまでお読みになったあなたにはもうわかりますね。

 自我のせいです。友だちと比べて自分が劣っているという気持ちに囚われてしまったからです。 

 お金のかかったゴージャスなファッションでなくても、自分に似合う最高のお洒落をしてきたのですから、自信を持ったまま堂々としていれば、どうってことないのです。

 人は人、自分は自分、私はそんなにお金をかけられないから、自分に似合うものを大事に長く着るスタンスなのよ、という気持ちでいれば、自信を持ってそのパーティーを楽しむことができます。

 自我に囚われていない人は、そこでみじめな気持ちになったりしません。それだけでなく、その友だちに対して、素直に「あら、あなたとても素敵ね。うらやましいわ」と言えるのです。人を素直な気持ちでほめることができるかどうかは、自我をはかるひとつのバロメーターになりますね。


■人と張り合うと苦しくなる


 車が欲しいなあ、と思ったとしましょう。

 自分の収入を考えて、買える車は100万円台だと判断し、いろいろ調べて購入しました。小さな車だけど、家族を乗せて一緒に出かけられます。小回りが利いて、細い路地にもスイスイ入っていけます。毎日の買い物や用事に便利だし、駐車するにも場所を選ばない。色もきれいでかわいい車だと気に入っています。

 すると友だちが「僕も車を買ったんだよ」と言う。聞けば誰もが憧れる高級車です。自分の車が5台ぐらい買える値段です。それを知ると「はあ~」とため息が出て、自分の車に対する喜びが瞬く間に消えてしまいます。

 これもやっぱり自我ですね。

 なぜ、そんな自我が湧いてしまうのでしょうか。

 金額の高いもののほうが価値が高い、自分もそういうものを持ちたい、という気持ちがあるからです。心の隅に、高級車に憧れる気持ちがある。だけど自分の懐具合を考えたらとても買えないので、いわば負け惜しみで「小さい車のほうが便利なんだ」と言っていたとすると、やっぱりその気持ちが出てしまうわけです。

 もし、友だちが買ったのが10人くらい乗れるワゴン車だったらどうですか? 大きな車ですから、それも値段は高いと思いますよ。でも3人家族にそんな大きな車は必要ない。その場合はそんなに落ち込まないのではないですか。

 つまり、「なぜ自分に車が必要なのか」ということをよく考えてみるといいのです。ふだんの買い物や用事のために使うことが多いとしたら、そんな高級車は要らないですね。ディスカウントショップに行ったり、スーパーに肉や野菜を買いに行ったりするのに似つかわしい車とは言えません。

 自分の買った車は、いまの自分に本当に必要なものだ、「『これでいい』のではなくて『これがいい』んだ」と思っていれば、友人がどんな車に乗っていようと、自分がみじめな気持ちになったりしないのです。

 私たちがつい人と比べてしまうのは、モノだけではありません。

 学校でテストが採点されて返ってきました。Aくんは80点でした。自分としては勉強した成果で、「わあ、80点も取れた」と大喜びです。仲良しの友だちのBくんに「どうだった?」と聞くと、Bくんは90点でした。それを聞いてAくん、ちょっとがっかりです。でもBくんはいつも自分よりできるから仕方ないか、と思おうとします。

 先生が言います、「今回はみんなよくできたぞ。平均点が85点だ」。Aくんは平均点以下だったのです。そうなると、80点がもう全然うれしくありません。がんばって勉強したのにこの程度か、という気持ちになって落ち込みます。

 けれども、それはおかしいのです。Aくんががんばって勉強した結果の80点であれば、友だちが何点であろうと、平均点に達してなかろうと、がんばった事実は消えません。その点数に自信を持っていいのです。

 自我を誰かから否定されるのもきついですが、人と張り合おうとして自我を張ってしまうのもまたきつい。自我さえなければ満足を感じていられるのに、自我が幸せな気分を奪って苦しみにし、生きにくくするのです。自我は魔物です。


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著者

アルボムッレ・ スマナサーラ

スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、80年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程で道元の思想を研究。現在、宗教法人日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事し、ブッダの根本の教えを説きつづけている。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHKテレビ「こころの時代」などにも出演。著書に『自分を変える気づきの瞑想法【第3版】』『ブッダの実践心理学』全8巻(藤本晃氏との共著、以上、サンガ)、『怒らないこと』『無常の見方』『無我の見方』(以上、サンガ新書)、『執着の捨て方』(大和書房)など多数。

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