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多様性を「生きる」。違いを「楽しむ」。アフリカ人と結婚した文化人類学者が、いま考えること。 鈴木裕之

第4回

世界は誤解に満ちている

2018.11.19更新

読了時間

文化人類学者であり、国士館大学教授の鈴木裕之先生による新連載が始まります。20年間にわたりアフリカ人の妻と日本で暮らす鈴木先生の日常は、私たちにとって異文化そのものです。しかしこの連載は、いわゆる「国際結婚エッセイ」ではありません。生活を通してナマの異文化を体現してきた血の通った言葉で、現代の「多様性」について読み解いていきます。
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異文化「誤解」

 私がアビジャン(コートジボワール)にはじめてきた頃のこと。私が日本人だと知ると、人々はみな一様に感心しながら、こう言うのであった。

 「日本人はとても優秀だ。自動車からラジカセまで、世界一ではないか。
  なんでも、小学生が工場で腕時計を組み立てているっていうんだから」

 そんなバカな。それでは児童労働ではないか。おそらく、テレビかなにかで「識者」が適当に無責任なコメントでもしたのか、あるいはどこかアジアの国で子供が時計工場で働かされている場面を、ドキュメンタリー番組で見たのかもしれない。それが、小学生でさえ、時計の仕組みを理解しているという称賛として定着してしまったのだろう。

 「異文化理解」と簡単に言ってはみるものの、ほんとうに異なる文化を理解することができるのだろうか? 前回、民族や文化の違いは相互理解のための仕掛けであるという見解を示してみたものの、はたして理解できるものかどうか、はなはだ心許なくなってくる。

 皆が皆、なにかとんでもない勘違いをしているのではないだろうか。とてつもなく大きな誤解の上に自分の世界観を打ち立てているのではないだろうか。そんな不安で心がザワつくことがある。

 行けども行けどもたどり着けない迷路、異文化とはそんなものなのだろうか?

誤解のオンパレード

 1998年の夏も終わろうとしていた頃、妻は私に連れられて日本にやってきた。アビジャンで結婚式を挙げてから2年後のことである。

 成田空港から自宅までの道のり。はじめて見る大量の日本人たち、日本の街並み、電車の中の静けさ……きっと驚きの連続であったことだろう。

 だがなによりも驚かされたのは、私のアパートのドアを開けたとき、大量の新聞や郵便物が玄関に散乱していたことである。

 当時住んでいたアパートでは、玄関扉の内側に郵便受けが設置されていた。海外に出張する際は、郵便物が溢れでないよう、プラスチック製の郵便受けを外していたのだ。不在中の郵便物は、扉に空けられた投入口から玄関の床上に落下し、それらが山のように積み重なっていた。

 なんとか中に入れるようにと、散乱する新聞や広告を一生懸命まとめようとしている私。長旅で疲れきった妻は、その背中を見ながら、こう思ったという。

 「スズキは大学の先生だと聞いていたけど、本当は新聞屋だったのか。私も明日の朝からいっしょに新聞配達をしなけばならないのだろうか……」

 その後、日本での馴れない生活がはじまったのだが、ある時、私と並んで歩いている妻が、道端の郵便箱になにかを放りこんだのに気がついた。

 「なにをしてるの?」と聞くと、チューインガムの包み紙を捨てたのだという。

 私があわてて、「こんなところにゴミを捨ててはいけない」というと、「スズキだって、いつも捨ててるじゃないの」という答えが返ってきた。

 なるほど。たしかに、ふたりで連れだって外出する際に、手紙やハガキを歩きながら郵便箱に投函することが何度かあった。郵便箱の前を通りすぎる瞬間、ほとんど歩調を緩めずに、さらりとハガキを小さな投函口に放りこむのである。なぜそんなことをするのかと聞かれれば、癖であるとしか答えようがない。それほど急いでいるというわけでもないのだから。 

 アビジャンに郵便箱はない。もしかしたらあるのかもしれないが、私は一度も見たことはない。手紙を書く文化も人々に広く共有されているわけではない。郵送先は郵便局の私書箱あてで、それも一般人のレベルでは一部の者が持っているにすぎない(ちなみに現在ではスマホが普及し、人々はメールやSNSで頻繁にメッセージのやりとりをしている)。

 妻は、「箱の中に、なにか小さなものを放りこむ」という私の行為を見て、いったいなにをしているのかと不思議に思ったことだろう。彼女が生きてきた世界に「郵便箱」はなかった。それまで経験してきた事柄のなかでもっとも近いもの。それが「ゴミ箱にゴミを捨てる」であったのだ。

 こんな小さな誤解が、次から次へと襲ってくる。こうして書くと笑い話であるが、すこしでもはやく日本の生活に慣れようと焦っている当事者にとっては、笑い事どころではないのである。

すれ違いの果てに

 多様性を「生きる」ことと、多様性について「語る」こと、あるいは多様性を「理解」することは別物である。私がそれを理解したのは、もちろん、日本におけるニャマ(妻)との生活を通してであった。

 国際結婚をした日本人が結婚相手と日本に住みはじめたとき、まずなにを感じるだろうか? おそらく、ある種の「引け目」を感じるのではないだろうか。

 「つまらないものですが」と言いながら高価な贈り物を渡す日本人。なにも悪いことをしていないのに、「どうも、すいません」と一日に何度も謝る日本人。平均値を超えて目立つことを嫌う国民性のなかで育った人間が、見た目も、言葉も、振る舞いも、考え方も、すべての点で異なる「ガイジン」をパートナーとして日常生活を営むとき、通常と「異なる」ということをあたりまえの権利として主張することは心理的に難しい。

 日本において異なるというのはマイナス要因である。このマイナスをいかにしてゼロ地点にもってゆくか。パートナーに、いかにして日本の常識を理解させ、突飛な行動を慎んでもらうか。いかにして、郵便箱にゴミを捨てさせないようにするか。私は無意識のうちに、いかに世間に迷惑をかけないようにするかというテーマに沿って、ニャマに「教育」を施していったように思う。当然、それは簡単なことではなく、まるで無能な子供のように扱われたニャマのプライドをズタズタに引き裂いていったが、不幸にも私はそのことに気がつかなかった。そして教育が効果をあげなかった場合、私は不機嫌になり、心は頑なになり、ふたりの関係に潤いがなくなっていった。

 同時に私は、それまですすめてきたアビジャンのストリート文化についての研究に区切りをつけ、ニャマの親族の協力を得ながら、マンデ民族のグリオ(伝統的語り部)の研究をはじめた。毎年、夏休みにコートジボワールやギニアに出かけ、ニャマは里帰り、私は文化人類学のフィールドワークで、1~2か月間滞在した。こうして私は彼女の家族について、親族について、文化について、学術的な理解を深め、論文を書き、本を書き、学会発表し、業績を積み重ねていった。

 妻がアフリカのミュージシャンで、私がその文化を研究する文化人類学者。いっけん理想的に見える関係ではあるが、そこには決定的なすれ違いが密かに進行していた。

 そしてある日、ニャマが爆発した。

 世間でおしどり夫婦と思われていた芸能人が、じつは喧嘩が絶えない仲であったというのはよくある話であるが、じつは我々夫婦もよく喧嘩をした。その程度はライト級からへヴィー級までさまざまであるが、ある時、原因はなんであったか忘れてしまったが、超へヴィー級の諍いが起きた。そのときのニャマの言葉は、今でも忘れることはできない。

 「私はあなたに愛されていると信じていたから、芸能界のキャリアも全部捨てて日本についてきた。ところがそれは愛などではなかった。あなたは、ただ私を利用していたのよ。今日、そのことを理解して、私は死ぬほど悲しい」

 自分の胸に両手を当てながら切々と訴えるニャマの姿を見て、私は凍りついてしまった。もしかして、自分は取りかえしのつかない勘違いをしてきたのではないだろうか?

「消化」される異文化

 グローバル化のなかで、「他者の理解」は喫緊の課題としてクローズアップされることがおおい。でも、なにを理解しようというのだろうか?

 文化人類学は、基本的に文化を異にする他者を理解しようとする。長期間のフィールドワークを通じて、相手の生活に最大限に近づき、彼らの視点になんとか寄り添いながら、さまざまなデータを収集し、それらを客観的に分析しながら、その文化を理解しようとする。いわば、「知」による理解だ。

 マスメディアの場合はどうだろう?

 NHK特集のような硬派ドキュメンタリー番組の場合は、専門家の意見を聞きながら綿密な取材が組まれているので、むしろ「知」による理解に近いかもしれない。 

 一方、最近流行りのバラエティー番組は趣を異にする。「世界の果てまでイッテQ!」「YOUは何しに日本へ?」「世界の村で発見!こんなところに日本人」などなど。ほぼ毎日、なんらかの形で異文化を扱った映像が放映されている。これらは、いかに視聴者の目を引くかに目的が特化されているのが特徴だ。

 今どき、たんにエキゾチックで物珍しい異文化の映像など、誰もふり向きもしない。そんなものは退屈だし、必要な時はネットで検索すればいい。そこで重要となるのは、日本人との「絡み」の部分である。

 たとえば、外国人が日本に来て日本文化の素晴らしさを発見するプロセスを見せ、それを見た日本人が「美しき国、日本」を再発見する。あるいは、海外の僻地に住む日本人の良心的な活躍を紹介し、「心優しき日本人」を再認識する。感動のミニ・ドキュメンタリーである。

 もうひとつの定番は、もちろんお笑いである。基本はボケとツッコミ。ボケは常識からいかに外れているかが勝負となる。その点、異文化は根本的に日本の常識からかけ離れているので、日本人レポーターが日本の常識に根差して先方の習慣などにツッコミを入れ、笑いをとる。逆にボケとツッコミが入れ替わり、先方の文化に基準を置いて、なにも知らないレポーターが日本人的な振る舞いをして現地の人にツッコまれる、というパターンもある。

 「美しき国」パターンにも「お笑い」パターンにも共通するのは、いずれも異文化を日本の土俵に引きずり込んで、日本の言語体系で紹介し、日本人に都合のいい所で「オチ」をつける、ということである。これに、「お手軽クイズ」パターンを加えてもいいだろう。一見知的に見えるこのパターンも、表層的な「なぞなぞ」のフォーマットに落とし込んでオチをつけるという意味において、同じ穴の狢である。

 これらのパターンにおいては、違いによるあせりも、多様性への恐れもなく、それを乗り越えて理解しようという姿勢は微塵もない。あるのは内輪ノリの安心感だけである。

 これは異文化の理解というより、異文化の消費、いや、それ以上に「消化」である。もちろん、この場合の消化とは、物事をよく咀嚼して身につける、という意味ではなく、なんでも貪欲に胃袋に入れて溶解させてしまう、という意味である。

「知」の理解と「情」の理解

 私は理解しようと努力していた。

 大学の授業、学会、研究会、論文執筆、原稿の締め切り……日々、異文化に対峙し、思索し、成果を出そうと努めていた。だがひとりの人間の能力には限界があり、なによりも与えられた時間は限られている。いきおい、ニャマと過ごす時間、ニャマに対する配慮は疎かになっていった。

 自分は異文化理解の専門家である。多様性の理解者である。そんな風に驕っていた私に、ニャマからの一言が浴びせられた。

 「あなたは、私を愛していない。ただ、利用している」

 あれほどの大恋愛の末、壮大な結婚式をアビジャンで挙げたのも今は昔。そこには、ただ、残骸だけが残っていた。その残骸のなかで、私は理解した。これまで、多様性を理解し、多様性について語ってきたが、多様性を生きてこなかったことを。

 マンデについて語りながら、目の前のマンデの女の顔を見ていなかった。グリオについて分析しながら、おなじ家に住むグリオの娘の心を理解しようとしなかった。世界の多様性について書きながら、半径10メートル以内の多様性を生きていなかった。

 「知」による理解によって、世界の見取り図をつくることができる。人類の本性について洞察することもできる。自分たちが何者であるか、思索することもできる。だが生身の人間が共に生きるというのは、それとは別レベルの問題である。この世で唯一の個性を持った者どうしが、相手の気持ちを察知し、その場その場でコミュニケーションの仕方を調整しながら、生きてゆく。いわば、「情」による理解である。

 夏目漱石は「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。……とかくに人の世は住みにくい」と喝破したが、私は「知」の理解を「情」の理解に優先させ、心を失った。だからといって、山のなかに引きこもることもできない。ここで生きてゆかねば。

誤解を恐れずに

 多様性を理解することと、多様性を生きることは、どうやら似て非なるもののようである。人は頭を使い、心で感じる。そのバランスが問題だ。

 異文化理解の目的は、共生ではないだろうか。「共に生きる」。

 理解できても生きないのであれば、なんの意味があろう。

 誤解しながらでも生きていれば、やがてなんとかなる。

 たしかに世界は誤解に満ちている。だが恐れることはない。

 多様性を知の世界に閉じ込めず、消費の対象とせず、生の世界に開放してやればいい。理解は、そのあとやってくるに違いない。

 さて、ニャマに活を入れられた私はというと、頭と心のバランスを取り戻し、それに伴って夫婦の愛情のバランスも取り戻され、ふたりは幸せに暮らしたとさ。

 めでたし、めでたし。

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著者

鈴木 裕之

慶應義塾大学出身。国士舘大学教授。文化人類学者。専門はアフリカ音楽。著書に『ストリートの歌―現代アフリカの若者文化』(世界思想社/2000年/渋沢・クローデル賞現代フランス・エッセイ賞受賞)、『恋する文化人類学者』(世界思想社/2015年)ほか多数。1989年~1994年まで4年間、コートジボワールの大都市アビジャンでフィールドワークを実施。その際にひとりのアフリカ人女性と知り合う。約7年間の恋人期間を経て1996年に現地にて結婚。彼女が有名な歌手になっていたことで結婚式は注目され、現地の複数の新聞・雑誌でとりあげられた。2015年、この結婚の顛末を題材にした文化人類学の入門書『恋する文化人類学者』を出版。朝日新聞、週刊新潮、ダ・ヴィンチなどの書評、TBSラジオ、文化放送などのラジオ番組でとりあげられ、大学入試問題にも採用された。

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