第6回
選択を援助する朝の身支度
2019.11.11更新
科学ジャーナリストが見た、注目のケア技法「ユマニチュード」の今、そして未来。『「絆」を築くケア技法 ユマニチュード』刊行を記念して、本文の第1章と、日本における第一人者・本田美和子氏インタビューを特別公開! 全18回、毎週月曜日(祝日の場合は火曜日)に更新します。
「目次」はこちら
朝6時半、スタッフルームで引き継ぎが始まった。夜勤のスタッフと日勤のスタッフが集まっている。全員女性。20代から30代くらいの若い人が多い。セコイアでは夜勤は2人、日勤は14人で96人の入居者を担当する。「夜勤は2人ですか。少ないですね」。日本よりずっと少ない人員配置に日本の参加者から驚きの声が出る。
夜勤のスタッフが気になる入居者について記録を見ながら報告していく。「○さんはベッドの柵につかまっていた時に転んだようですが、食欲もあり問題ありません。夜中にお腹がすいたら、軽食を召し上がっていただいています」「○さんは、下痢をしていましたが、治りました」。
夜中に排便があった入居者について、対処方法の議論が始まった。「おむつを取ってしまうんです。夕べは3回起きました。見回りに行ったあとで起きることが多いんです」「ご本人が気持ちが悪いと困っていらっしゃいます」。おむつを2回くらい替えてはどうか、吸収するシートを使ってみたらどうかなど、解決案がスタッフから出される。横で聞いていたジネスト氏が、「おむつの中に布を敷くと気持ちがよいかもしれない」と発言。「背中にも便がついてることもあるんですが」とスタッフが言うと、「ベッドの頭の部分を軽く上げると防げるかもしれない」。スタッフが「なるほど」とうなずく。
報告は続く。「○さんは心理カウンセラーと面談して満足されました」「○さんは奥さんが昨日食事の時に来ていました。1時半に徘徊がありました。軽食を召し上がってから休まれました」「○さんは食べられないとおっしゃったので、食事を刻み食に替え、励ましたところ召し上がりました」「○さんは朝3時から起きて廊下を歩いています。ケアはまったく拒否していらっしゃいます」。続いて日勤のスタッフがケアの予定を確認していく。「○さんは包帯の交換があります」「○さんは水曜日にエコー検査を受けることになっています」。
入居者の状況をスタッフ全員で細かく共有していく。介護施設の朝の引き継ぎを見学したのが初めての私は「ずいぶん丁寧に話をしているな」と思うくらいだったが、日本の参加者からは、紙に記録して引き継いだり、受け持ちどうしで伝え合うだけでなく、全員で話をしていることに感心の声があがっていた。
引き継ぎが終わると、朝の身支度のケアが始まった。ケアを一緒に行う日本のユマニチュード・インストラクターがスタッフとともに入居者の部屋へと向かう。「シャワーを嫌がる人なんですが、みなさんがいらっしゃるのでうまくいくかもしれません。試してみましょう」とスタッフのアリスさんが笑顔で話す。ケア用品を載せたワゴンと、ゴミ箱を載せたワゴンを押して廊下を歩いて行く。ホテルのベッドメイクのようだ。おむつなど必要なものを用意してドアの前へ。「トントントン、トントントン、トン」。ノックをしてから扉を開け、部屋の中へ。「ボンジュール!」と声をかけながらアリスさんがベッドに近づくと、毛布の中から「サバ?」という声が聞こえた。毛布にくるまったままの入居者とアリスさんで話が始まる。「もう少し寝ていたい」と言っているようだ。「じゃあ、あとでまた来ますね」と言って、アリスさんが部屋から出てきた。「あと1時間寝たいという話でした。いつもは朝早いんですけどね」。
廊下を歩いて次の部屋に向かう。途中、部屋のドアの前に杖をついた女性が立っていた。薄緑色のゆったりとしたワンピース姿。アリスさんが声をかける。どうも混乱しているようだ。アリスさんが女性を部屋の中に案内し、椅子に腰かけてもらい、水を渡す。「薬は?」と女性。「朝ご飯のときに飲むんですよ」とアリスさん。「全部がひっくり返っちゃって」と女性が言うと、「朝はね。そのうち治まると思いますよ」とアリスさんが返す。出かけたいなら、朝食会場に早めに行くこともできますよ、とアリスさんが提案した。
落ち着いたのを確認して部屋の外へ。「外に出ていらっしゃったので、予定を変更して彼女のところに行きましょう」。ケアの記録が綴じられたファイルを確認する。「大腿骨に人工骨頭が入っていますが、短距離なら歩けます。長い距離は車椅子に乗せてほしいとご本人が希望されています。目標は歩いていただくこと。朝ご飯の会場まで歩けたら最高ですね」。記録簿には目標が達成できたかどうかを日々記入する欄がある。ケアの内容、かかった時間も細かく記録する。手書きの記録を後でコンピュータに入力するのだそうだ。再び部屋の中へ。「ボンジュール!」。アリスさんが女性の足に弾性ストッキングをはかせる。「できました」。女性がもう片方のストッキングをアリスさんに渡す。「ありがとう。あとで包帯を巻くと安心ですね。ゆっくり朝食会場に来てください」。お別れをして部屋の外に出る。女性が手を振って挨拶をした。
他の部屋を回り、1時間後、「もう少し寝たい」と言っていた女性の部屋へ再び向かう。3回ノックをして部屋に入る。「こんにちは。また来ましたよ」。ベッドの脇で話が始まった。「そろそろコーヒーを飲みに行きましょうか。今日は私1人じゃないんですよ。今日は日本の方が来ているんですよ。ご一緒してもいいですか」「いいですよ」。日本の参加者がベッドの脇にひざまずき、挨拶を交わす。「こんにちは、初めまして」「会えてとても嬉しいです」。女性が毛布から顔を出し、大きな声で言った。「ありがとう」。ふっくらした顔立ち、ふさふさした白髪の白人女性だ。
アリスさんが女性の側に寄り、朝の身支度について提案する。「シャワーはどうですか」。女性が首を振りながら何か言っている。嫌なようだ。「わかりました、靴下をはきましょうか」。女性がうなずく。ベッド上で弾性ストッキングをはき、アリスさんが「起きられますか」と尋ねると、自分でゆっくりと起き上がった。アリスさんが笑顔で話しかける。「助ける必要ないですね!」。
トイレに誘導し「ここにいますから心配しないでくださいね」と声をかけ、扉を閉める。シーツの状態を確認し、ベッドメイクをする。しばらくして声をかけると女性から返事があった。扉を開けて身支度の援助が始まる。「1日の用意をしましょうね。まず服を選びましょうか」。椅子の上にたたんで置いてあった赤いトレーナーとグレーのズボンをアリスさんが見せ「暑くない?」と聞くと、「どうかな、着てみるわ」と女性。洗面所で着替えが始まる。「必要だったら手伝いますね」。アリスさんがネグリジェのボタンを外すと、女性は自分で脱ぎ、ブラジャーをつけ、髪をブラシでとかし始めた。「顔を洗いましょう」とアリスさんがお湯で濡らしたミトンを渡す。女性がミトンで顔を拭くと、アリスさんが「これで拭いてください」とバスタオルを渡した。同じ要領で身体も拭いていく。アリスさんが「どうぞ」と言って服を渡す。女性が自分でトレーナーを身につけた。「いいですね」とアリスさんが声をかけ、続いて「お尻と前もきれいにしましょう」と提案した。女性がうなずき、上半身と同様に拭いていく。手伝いを受けながら、女性がリハビリパンツをはき、ズボンをはいた。歯磨きが終わるとアリスさんが眼鏡を渡す。「香水は?」と声をかけられ、女性が香水の瓶を手に取り、左右の耳元に吹きかけた。「朝食に行きましょう」。ゆっくりと部屋を出る。行動障害があるため、日中は認知症の特別棟で過ごしているのだという。前日に訪れた特別棟まで歩き、仲間のいる居間に着くと女性は椅子にゆっくりと腰をかけた。アリスさんが部屋に入ってから身支度が終わるまでの時間は約25分だった。
朝食会場に人が集まり始めた。私が見学したときには、20人ほどの入居者がテーブルについていた。エプロンをしたスタッフがテーブルを回り、「コーヒーにしますか、カフェオレにしますか」と尋ねている。食べているのはパン、フルーツサラダ、パンケーキ。この日はスタッフがホットプレートとジューサーを用意して、焼きたてのパンケーキと搾りたてのオレンジジュースを振る舞っていた。テーブルの上には、小分けになったバターやジャムのパックが入った布製の籠、シロップの大きな瓶もある。食事の介助を受けている人がいなければまるでホテルの朝ご飯のようだ。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く