第16回
【老衰死・平穏死の本】医者の使命はいのちを救うこと
2018.03.08更新
まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
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本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。
■医者の使命はいのちを救うこと
「医師の使命はいのちを救うことにある」
アリストテレスは言っています。
医者は患者さんの病気を治すため、いのちの危機を救うために、できる限りの手を尽くすことを教え込まれています。
「方法があるなら、やらなくてはいけない」
「救えるいのちは何としてでも救え」
私も医者の使命であるこの教えに忠実に従ってきました。
私は初め、消化器外科医としてスタートしました。
かつては不治の病の代表格だった結核に代わって、死の要因となる病気として増加したのが、悪性新生物(がん)であり、脳血管疾患であり、心疾患でした。
腹膜炎などの感染症との闘いは、勝ち戦続きでした。
しかし、がんとの闘いが多くなると、負け戦になることが増えました。
がん細胞を一粒でも残すとそこから再発するからと、大きな網をかけて怪しいところを取り除こうとする拡大根治術を行うようになります。そうなると、バラバラになった血管をつながなければいけません。
がんが増えると同時に、動脈硬化との闘いも始まりました。
日本にはまだ血管を扱う分野の技術が確立されていなかったので、それを学ぶために当時の西ドイツの病院に行きました。
帰国後は、血管外科医として、傷んだ血管を修理するようになりました。血管が詰まった場合に、これを直接通したり、バイパスを作ったりします。また、破れそうになった動脈瘤を、人工の血管で置き換え、破裂を防ぎます。
また、すでに危機が起きている人を救うだけでなく、脳梗塞の予防手術のような、今後発現する危険性が高い病気を未然に防ぐ手術も行うようになりました。
脳梗塞は人生をめちゃくちゃにします。それを防ぐことができれば、こんなに意味のある手術はありません。しかしこの手術は一つ間違えると、脳梗塞をまだ起こしていない人を脳梗塞にしかねないのです。その意味で大変なリスクの伴う手術です。それこそ手術を受ける方も手術をする方も大変な覚悟がいります。
人生途上の病というピンチを乗り越えるということは、大なり小なりそれなりの覚悟が必要なのです。その人の人生にとっての意味を選択することなのです。
■生命線をこの手に握る
甲状腺がんで放射線治療を受けた女性患者さんの頸動脈が傷んで、動脈瘤ができました。そのままにしておいて頸動脈が破れてはたいへんなので、病変部分を人工血管に置き換える手術をすることになりました。
人間の急所である頸動脈です。一歩間違えば、その人の人生を台無しにしかねません。
手術前はつねに、手術の手順を何度もイメージし、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して臨みます。
病変部分の切除は順調に進みました。人工血管の片方を正常な血管とつなぎ終える工程もうまくいきました。
人工血管の残ったもう片方と頸動脈をつなごうとした瞬間、鉗子で血流を止めていたところの血管が突然破れ、外れた動脈が胸骨の裏に入り込んでしまいました。私は咄嗟に指を胸骨の裏に突っ込みました。
幸いにも、私の指は外れた血管からの出血を奇跡的にも止めていました。心電図も変わりません。
麻酔医は事態を察して不意のことに備えてくれました。
私は第一助手に、胸骨を縦に切る指示を出しました。胸を開いて破れた血管の上流に鉗子をかけて、血流を止めるのです。
外れた血管を抑えている私の右手は次第にしびれて、感覚がなくなっていきます。しかし、外れた血管に再度鉗子をかけるまでは、どんなことがあっても血管から手を離すわけにはいかないのです。
助手が作業を進めやすいように適宜助言をしながら、冗談を言って緊迫したその場の緊張をほぐそうとしました。その実、誰よりも自分自身をいちばん落ち着かせようとしていたのかもしれません。
外れた動脈にやっと再び鉗子がかかり、安全な状態に復帰できました。
頸動脈の血流を遮断すると、ほんの短時間でも場合によっては意識が回復しないことがあります。患者さんが麻酔から醒めるまで気が抜けません。手術が終了しても、気を張った緊張状態は続いていました。
やがて、患者さんは麻酔から醒め、何事もなかったかのように意識を回復されたのです。
患者さんの生命線をまさにわが手でつかみ、危機一髪のところで救うことができました。
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