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「平穏死」を受け入れるレッスン  自分はしてほしくないのに、なぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三

第22回

【老衰死・平穏死の本】憂い事は笑い飛ばすがよし!

2018.05.29更新

読了時間

まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
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本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■憂い事は笑い飛ばすがよし!

「あれから四〇年」でお馴染みの綾小路きみまろの漫談は、中高年に大人気です。

「何も要らない。あなたがいれば。
あれから四〇年、
何でも欲しい。あんたは要らない」

「新婚時代、手を取り合いながら生きてきました。
あれから四〇年、
財産を取り合いながら生きています」

 こんな毒舌漫談に、わが身を振り返ってちょっとドキリとしつつも、アハハと笑い飛ばして気分爽快になれる。そんなところが魅力なのだと思います。

 私はこのフレーズが気に入っています。

「言ったことは忘れ、
言おうとしたことまで忘れ、
忘れたことも忘れました」

 きれいさっぱり嫌なことを忘れられたら、毎日がすっきり上機嫌でいられそうです。

 ということは「ボケる」ことも悪くない、ということです。いまは認知症なんていうヘンな病名がつけられていますが、私は昔のように「ボケ」と呼ぶほうがいいのではないかと思っています。人間長く生きているといろいろなことがあります。それを忘れて身軽になって、浮き世を超越するようになるというのは、憂い事をなくしてくれるメンタル安定装置なのかもしれません。

「ボケが始まったの? いいわね。私はまだなのよ、だからいろいろつらくて仕方ない……。うらやましいわ」

 そんなふうに言う時代が来たら面白いと思いませんか。

 ものごとの受けとめ方は、気持ちの持ちよう一つで変わります。

 歳とともに出てくるさまざまな病態も、いろいろ「不自由なことが増えていく」と考えるのではなく、どんどん身軽になっていくことだと思えばいいのです。

 耳が遠くなったら、聞きたくないことを聞かないで済みますし、歯がなくなったら食べすぎなくなります。それもこれも、どんどん身軽になって、枯れるための準備なのだと思えばいいのです。自然に枯れていくというのが、いちばん理想的な最期の迎え方なのですから。

■人生一〇〇年時代、下り坂をどう降りるか

「あれから四〇年」ではありませんが、二〇歳で成人してから四〇年経つと、還暦です。昔は人生リタイアのタイミングのように言われましたが、いまはまだまだ、第二の人生の始まりぐらいの年齢です。長い人生マラソンの折り返し地点のような感じでしょうか。

 そこからUターンして、さらに四〇年経つと、一〇〇歳になります。そこまでたどり着けるのが幸せなことかそうでないかは、あなた自身の生き方にかかっています。

 自分の口から好きなものを食べ、好きなことをして暮らせるならば、私もぜひ一〇〇歳を目指したいものです。しかし、寝たきりになって、ものも言えず、経管栄養でただただ生かされるようなことはご免こうむりたい、と思っています。

 ちゃんとリビングウィルも書いてありますし、家族にも話しています。皆さんも延命治療の意思表示は、はっきりさせておいたほうがいいですよ。そのほうが家族を悩ませずに済みます。

 人生前半の四〇年は、身体的に非常に活力がある時期ですから、上り坂でも馬力が出せます。しかし、還暦から人生は、それまでのようなわけにはいきません。ままならぬことが少しずつ増えてきます。

 身体的な衰えは、気力にも影響します。気力というのは自分自身のものだと思いがちですが、これは社会性と密接につながっています。

 たとえば、定年退職をした男性のなかには、一気に世間と縁遠くなっていき、孤独化してしまう人がいます。自分だけの自由な時間はたっぷりできたものの、何をしたらいいかわからないのです。そんな毎日を楽しめないのです。うつになってしまう人もいます。

 では、どうしたら気力を保っていきいきと暮らすことができるのでしょうか。

 人生の下り坂時代こそ、生きがいや生きる意味を自分の外に見出すことです。自分の好きなことをやろうとするのではなくて、自分にできることで社会と関わっていこうとするほうがいいのです。

 人は、自分が必要とされている実感があったほうが、気力が充ちて元気でいられるものです。誰からも必要とされない、自分が世の中に何の貢献もできない、というのは自己の存在意義の否定になり、つらいことです。

 ほんのちょっとしたことでいいと思います。たとえば、近くの小学校の通学路に立って、子どもたちを守るボランティアの“緑のおじさん”をやってみる。何だっていいので、自分を楽しませるというより、誰かのために役に立つことをしてみるのです。そうすると、張り合いが出てくると思います。

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著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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