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「平穏死」を受け入れるレッスン  自分はしてほしくないのに、なぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三

第24回

【老衰死・平穏死の本】おわりに

2018.06.12更新

読了時間

まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
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本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■おわりに

 私はいまから約半世紀前に、メスを持って患者さんの身体を切り開くという医療のなかでも最も“荒仕事”をする外科医になりました。

 その当時は、がんを退治するためには切り取ってしまうことがいちばんだという時代で、外科的治療が主流でした。

 たくさんのがんと闘いました。そのときは勝ち戦になっても、また再発します。怪しいところはすべて取り除く拡大根治術が必要だとなり、バラバラにした血管をつなぐ技術がないと先に進めなくなりました。

 私は血管外科を専門とするようになりました。血管を修復して、ときには人間の身体の“構造改革”までしました。

 大勢の人の生死に関わりました。治せた患者さんもいましたが、治せなかった患者さんもいました。治せないということは死を意味し、死は敗北でした。

 たとえ治療が成功しても、その人が永遠不滅の身体になったわけではありません。みんなやがて老い、いずれ死ぬのです。

 死には抗えないということを、嫌というほど感じさせられていました。

 しかし当時の私は、死と本当に向き合っていなかったのです。来てほしくないものとして、目を背けていました。向き合うことから逃げていました。

 そんな私が、ひょんなことから“老衰の館”である特養で働くようになり、老化、老衰、死とどっぷり付き合うことになりました。

 知ってみれば、死は忌み嫌う必要のないものでした。

 老いて老衰になるのは、安らかな死に向かうための最も安心なルートでした。自然の摂理に逆らおうとするから死が苦しいものになるのであり、よけいなことさえしなければ、自然の摂理に順応していれば、苦しむことなく安らかに最期を迎えられるのだということを、たくさんの老衰の先輩方が教えてくれました。

 われわれは自然の一部なのです。

 どんなに便利な世の中を築き上げ、自分たちの力で生きているような顔をしていたところで、われわれは未知な自然の一部です。まだまだわからないことが一杯ある自然の一部です。

 医学は人間のつくり出した科学技術の一つです。いのちの終焉という自然界の「深淵な機序」に、人間の考えた科学で挑戦し、抗おうとすることが、苦しい最期を招くのです。

 私たちは科学を過信して、医学がわれわれを死から救ってくれるような錯覚に陥っていました。医療にしがみついて、つらい死に方をしていたのです。

 生き物には自然の穏やかな最期があります。最期のときが来たことに気がついて、自然にまかせることがいちばんいいのです。

 この本には、外科医としてさんざん自然の摂理に挑んできた者が、「人はよけいな医療などしないほうが上手に死ねる」と言うようになった軌跡、自分の歩んできた航跡から見えてきたものを記しました。

 あらためて振り返ってみると、それはたどるべくしてたどってきた“航路”だったようにも思います。

 人生は平坦ではありません。さまざまな苦労を乗り越えなければなりません。逆境を怖れてはいけません。

 苦労を乗り越えた者は、一皮剥けます。

 たくましくなります。

 人に優しくなれます。

 私は七〇歳から勤めはじめた芦花ホームで、人としての生き方を取り戻しました。芦花ホームで、相手のために何ができるかということを一生懸命考えつづけている若き職員たちと出会い、私はたいへん清々しい思いを感じました。自分の新天地をこのような環境に決めたことを、心からよかったと思いました。

 医師の使命は、いのちを救うことにあります。

 しかし、老衰の果てのいのちは医療では救えません。

 そこで求められているのは、人生を支える役割です。

 それはときに医療の力を超えます。

 私は一人の人間として、いのちよりも大切なものに気づくことができました。

 わが人生に悔いなし、です。

 そしてまだ私の人生は続いています。

 この本を書くに当たって、芦花ホームで過ごしてきた一〇年の間、家族の介護問題に真剣に取り組んできたからこそ、ホームのあり方に意見してくださったご家族の皆さまに、一緒に悩み、一緒に怒り、一緒に涙し、一緒に笑い合ってきた介護施設の仲間たちに感謝します。

 そして訪問看護師という立場と経験から、老衰に医療はどうあるべきかを私に示唆してくれた妻に、心から感謝します。

 石飛幸三

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  • みんなの感想

    KOU

    私の91歳の母が、一年前からアルツハイマー型認知症を患い、ほんの一週間前から、ほぼ一日中、家で眠るようになりました。食事もそれまでは、私の作る料理をおいしいと良く食べてくれていましたが、今は作っても全部手付かずの状態です。急に事態が変わった事に不安になり、PCで調べていくうちに、石飛先生の本の朗読を拝聴しました。私は、30歳の時にそれまで勤めていた会社を辞め、自分で弁当屋を始め、その時から二十年以上母にも手伝ってもらっていました(今は私は60歳です)。随分無理を言って、こき使って、母の自由を奪っていたことを今更ながら後悔しています。一言も不満を言わず、手伝ってくれていました。母をこき使いすぎたせいか、母が60歳の時にくも膜下出血で手術しましたが、幸いにも後遺症もなく、その後も弁当屋を手伝わせていました。先生の本の中に、社会の役に立つ、人の役に立つことが、人生の生きがいになるという文章を読んで、それまで後悔ばかりしていた私の心も少し救われた気がしました。本の内容から、おそらく母の死期も近いと推察されます。このまま平穏死で母があの世に行けるよう、今はそっと手を合わせています。この本のお陰で、私も平穏な気持ちで送りだせそうです。本当に有難うございました。

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  • みんなの感想

    さえ

    超高齢者の自宅での夫への1人介護、早く死んでと毎日思っています。
    最近特に、自分が先に死にたいと思っています。
    この気持ちを抑えきれずに、精神科へ通っています。
    どちらも、地獄です。

    返信
著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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