第6回
植物とディスプレー
2018.07.12更新
【 この連載は… 】 植物選びの基準は「いい顔」をしているかどうか……。植物屋「Qusamura(叢)」の小田康平さんが、サボテンや多肉植物を例に、独自の目線で植物の美しさを紹介します。植物の「いい顔」ってどういうことなのか、考えてみませんか?
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暗闇の中でのサボテンのインスタレーション [ 福岡 杉工場 ]
現在は稼働していない家具工場の一部を使用してサボテンのインスタレーションを行なった。外光を遮り、植物のみ照らすLEDライトを使用。背景を消すことで植物の輪郭を浮き立たせ、かつ太陽光とは異なる色温度の青白い光線を当てることで幻想的な姿を演出している。枠に使用している棒は、木材を乾燥させる際に使用する桟木と呼ばれるもので、あえて規則性を持たせないようにバランスを考えず、思い付いたままに取り付けた。
自分の力を使って植物のすごさを伝えることが大切
ここ数年でいくつかの植物によるディスプレーを手がけてきた。根のある植物(いわゆる生きている植物であり、これからも生きていく植物)でディスプレーを行う場合は、大抵、土の確保が必要だし、重力には忠実に従わなければならない。それらの縛りがあることが自分にとって心地よいハードルとなり、また植物を植物らしくディスプレーする基盤となる。普段から草むらや林など植物が自然に生きる場所を眺め、廃屋などに伝う蔓植物などを観察し、植物のはびこった姿をお手本にしている。
植物のディスプレーを行う場合、僕が最も気にかけることは、植物のよさを消さないようにすること。植物は人より遥か昔から長い時間かけて進化を続け、偶然と必然を繰り返し経験し、現在の種としての特徴を手に入れた。それぞれの植物の持つ構造は実に美しくよくできている。また、各々の個体は、独自の環境で数年、数十年と光を浴び、風を受けたくましく生き延びてきて、唯一無二の個性をまとっている。この二つの意味での植物のオリジナリティは植物の最も優れた部分で、それらをできるだけ崩さないよう注意している。つまり、人の作為が表に出るようなことはしないようにしているということだ。自らがパッとひらめいた斬新風なアイデアや、組み合わせ、時代のトレンド、凝りに凝ったテクニックなどは、植物の果てしなく時間が注ぎ込まれ積み上がった完成度からするとたかが知れている。インスタレーションを行う時、そんな作為的なものを植物にまとわりつかせると、植物のよさは跡形もなく消えてしまう。自分のスキルを見て!みたいな装飾は結局ほかの洗練されたアート作品やデザインには勝てっこない。植物を使って自分のすごさを誇示するのではなく、自分の力を使って植物のすごさを伝えることが大切だと思う。植物を扱う自分にとって、植物本来の面白さを最大限に引き出すこと、魅力的に伝えることこそが、最大の武器だと感じている。
ウィンドウディスプレー [ 銀座メゾンエルメス ]
7~9月の2ヵ月半という真夏のウィンドウディスプレーだった。向かって右の部屋は白い毛を持つ柱サボテンを中心に、白いサボテンのみで構成している。左側は、黄色い刺を持つ紐サボテンや玉サボテンで構成。一見、ウィンドウ内に単純にサボテンが生えているだけに見えるが、実は各部屋を10~20分割にした空間にピタリの鉄製の鉢を製作し、表土をかけて鉢を全く見えないようにしている。コンセプトをシンプルに見せるために裏方でかなり綿密に造作を考えている。植物の色=緑という概念を崩し、密植することで異世界をイメージ。また色彩を統一させることで、色の魅力を際立たせている。
© Satoshi Asakawa / Courtesy of Hermès Japon
アートギャラリーでのインスタレーション [ 池袋パルコ ]
秘密の植物部屋をイメージしたインスタレーション。生長が旺盛で農家のハウスや畑で放置され勝手に暴れて繁茂したような個体を集めた。植物の持つ奇妙さ、グロテスクな色彩やシルエットを小さな空間に集約することで癒しや爽やかさとは真逆のイメージを創出。
この連載は、「月刊フローリスト」からの転載です。
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