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「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのに なぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三 音声配信中

第5回

【老衰死・平穏死の本】人生最後の時間をどう楽しく生きてもらうか

2016.08.17更新

読了時間

まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
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本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■渦巻く家族の情


 親を失いたいと思う人はいません。たとえいろいろ確執があったとしても、親にはできるだけ生きていてほしい、そう思います。いのちの危機のとき、病院で医者から「このままだと危険です。○○○をしますか」と言われたら、「してほしい」「救ってほしい」と願うのが普通です。この○○○は、胃ろうかもしれませんし、気管切開かもしれませんし、昇圧剤かもしれません。そのときは「これは延命治療です」とは説明されません。「それをしないと死んでしまいますよ」と言われるのです。落ち着きを失っている家族は「してほしい」と言うでしょう。そして後で「こういうことになるとは思っていなかった」となる。こういうケースはかなり多いです。


 たとえ本人が「延命治療は望まない」と希望していても、家族はそれがやがて延命治療になっていくとは認識できていないことはけっこうあります。また、本人の意思を尊重しようとは思っていても、「何もしない=死」という事態を受け入れられないこともよくあります。たとえ一縷(いちる)の望みであっても、大切な家族のいのちに希望があれば、そこに期待したくなるのが家族です。いまが、「回復の可能性がまったくない状況」だとは思いたくないわけです。


 そして本人の意思をいろいろ解釈しようとします。「お父さんは無駄な延命治療はしたくないと言っていたけれど、これは望みのある救命なのではないか。お父さんだったら、あきらめないと言うのではないか」などと考えるのです。会話ができなくても、意識がなくても、まだふっと反応がある。この手の温もりは生きている証、少しでも長くこの温もりを感じていたいと思う。何もしないでただ死ぬときが来るのを待つなんて、そんな冷たいことはできない。見殺しにするようなことはできない。とくに親のいのちを左右する決断を自分がしなければならないというのは、非常に重いことです。心が揺れます。どちらにしても、それを一生背負うことになるでしょう。


 夫婦やきょうだい、親戚の間でも考え方が食い違い、意見が対立します。しかも、日ごろ介護をしていない者ほど「何かしなければならない」と口を挟み、「病院に送らないのか、このまま何もしないでよいのか」と口を挟み、自分にしてほしくないことを、肉親にはしてほしいと希望する、いえ押しつけようとします。


 ときには、お金の問題が絡みます。口には出せないけれども、お母さんの年金が大事な収入源になっているのだから、ここで死んでもらっては困る、というケースもあります。


 ですから、されたくないことをされてしまわないためには、本人がしっかり意識があるうちに、自分の最期のときに医療をどうしてほしいかの指示書、リビングウィルをきちんと書いておくことが大事なのです。ですが、ただ書いておくだけでなく、家族間で話をしておくことが必要だと思います。話して、自分の考え方を理解してもらっておく。そうすることが、家族を悩ませないための策でもあります。


■人の生き方の問題は刑法でも裁けない


 この問題は、法律の解釈もむずかしいところです。最期を迎えるときも、延命措置をどこまでもしなければならないように思わせる法律があります。それが刑法218条とそれに続く219条です。


 そこには「老年者、幼年者、身体障害者、病者を保護する責任のある者が、生存に必要な保護をしなかったときは懲役に処する」と書いてあります。法は文言ですから、文言通りにとらえると、命を延ばす方法があればどこまでも老年者に延命措置をしなければならないことになります。幼年者、身障者、病者はよいとしても、老年者はいずれ最期を迎えるのです。


 さらにこれに続く刑法219条では、前条すなわち218条に違反すれば保護責任者遺棄致死罪として、不作為の殺人罪に問われます。一方、刑法199条における殺人とは、「自然の死期に先立って他人の生命を断絶すること」と一般的には定義されています。これによるともう自然の死期が来ている場合は、自然の死期に先立つ場合ではないので、単なる延命措置はしなくてもよいのではないかと考えられます。


 このように、刑法でも、解釈次第でどちらともいえるのです。人生の最終段階における医療は、人の「生」の多様性を許容する視点でとらえなければなりません。いかに生きるか、いかに逝くかは、人それぞれの人生観、主観によります。道徳的に正しいとか正しくないというものではないのです。


 脳死状態の患者の人工呼吸器を外したことが、「保護責任者遺棄致死罪」「不作為の殺人罪」に問われた川崎協同病院事件の第二審において、東京高裁の裁判官は判決の理由書で、次のような趣旨のことを述べています。


 「こんな問題を裁判所に持ってこないでください。国民レベルでしっかりと議論してコンセンサスを作りなさい。これは人の生き方の問題です。法は国民のためにあります。だから法は国民のコンセンサスに従います」


 こういう裁判官もいるのですが、終末期医療は時代背景が大きく異なる明治時代の古い法律の影響を、いまだに引きずっているのが現状です。


■意見が割れた、心が揺れた


 お母さんの終末期を迎え、家族がたいへん思いまどった末に、最後は自然な看取りをされた例がありました。お母さんは九四歳、お父さんは約一〇年前に他界されていました。認知症プラス厳しい糖尿病を抱えていて、ホームに入所後一ヵ月も経たないうちに肺炎で病院に入院しました。病院ではインシュリン注射で血糖値がコントロールされる状態でしたが、もう点滴を刺す静脈が腕にも脚にもなくなったので、胃ろうをつけるか中心静脈栄養にするかを迫られました。


 お姉さんと弟さんの二人きょうだいで、意見が割れました。お姉さんは最期までできるだけの治療をしたいという考え、弟さんはもう十分だから、胃ろうも中心静脈栄養もせずに、ホームでの自然な看取りをするのがいいという考えでした。


 双方の配偶者もまじえ、ホーム職員と三回にわたって話し合いをした末、お母さんはホームに帰ってくることになりました。病院では点滴とインシュリン注射をしていましたが、ホームではもう点滴はしません。寝たきりで、ときに片言をしゃべることができます。


 お姉さんはほとんど毎日来られ、少しでも食べさせてほしいと言われます。熟練した介護士たちが、誤嚥させないように注意しながら、少しでも栄養のある流動食を慎重に食べてもらいました。一日の摂取量は三〇〇キロカロリー前後、水分は四〇〇ミリリットル前後でした。たったそれだけで、お母さんは一ヵ月以上生きていました。


 するとお姉さんがこんなことを言い出しました。「これならばもう一度病院に入院して、インシュリンを使って管理すれば、お母さんはもっと元気になるのではないか。病院でできるだけの治療をお母さんに受けさせたい」と言うのです。ホームに戻ってきたときには、あと一週間から一〇日くらいか、という感じだったのです。それが一ヵ月以上も生きられたわけですから、よかったじゃないかと思うところですが、家族にとってはそうはならないのです。受けとめ方が変わって、「もっと生きられるのではないか」と思うのです。


 再びご家族と職員皆で話し合う機会を設けました。私は言いました。「病院に移れば、血糖の測定をしてそれに見合ったインシュリンの投与は行われるでしょう。しかし、病院にはここのようにゆっくりと上手に口から食べさせるような職員の手はありません。おそらく経管栄養を勧められるでしょう。娘さんの『胃ろうはつけたくない』という意向があるので、経静脈に入れるしかない。いまお母さんが食べている三〇〇キロカロリーの栄養を入れる方法は、中心静脈栄養法しかない。この方法はある期間続くと感染の危険が起きるので、一定期間ごとに別な場所に管を入れ直さなければならなくなります。お母さんは重症の糖尿病なので、この方法は敗血症の危険が伴います。お母さんはいま、芦花ホームで自分の好きなものを食べて、苦痛なく生きている。どちらがいいかはご家族で忌憚なく話し合ってください」


 結果は、このままホームで過ごすことになりました。娘さんも受け入れたのです。

それからさらに一週間、穏やかに過ごしました。お母さんはだんだん意識が薄れ、さらにほとんど食べなくなりました。眠って、眠って、まるで絵に描いたように静かに最期を迎えました。


 この間どのような思いでお母さんを見守ったか、姉さんと弟さんは一冊のノートに毎日それぞれ自分の想いを書き込んでいました。お姉さんは、お母さんが自分の好きな甘いものを食べてくれた喜びを繰り返し書いていました。弟さんは、絵の才能があると思われ、線画でお母さんの穏やかな寝顔を、お姉さんが書いた想いのページに挿絵のように画き加えていました。それはまるで二人の「共作」でした。後日、お母さんの部屋の荷物の片付けに来た姉弟は、さっぱりとした様子でした。


■人生最後の時間をどう楽しく生きてもらうか


 親との永遠の別離は悲しい。つらいことです。悩み、迷うのは当然です。いつまでも生きていてほしい、それをかなえてくれる医療についすがりたくなります。ご家族の断ち切れない思いはわかりますが、別れは必ず来ます。どこかで受け入れるしかないのです。どうしたらいいのかわからなくなったら、自分の〝情(じょう)〞はとりあえず脇に置いて、「本人にとっていいことは?」と考えてください。


 自分の思いを書き出してみるといいと思います。「悲しい」とか「まだ別れたくない」とか、「できるだけのことをしてやりたい」とか、思いを書き連ねてみるのです。自分の情というのは、自分が主語になる感情です。自分が望んでいることであって、相手のことを考えているものではありません。


 厳しい言い方をすると、それは「エゴ」です。自分の思いにとらわれた考え方から、いったん離れたほうがいいのです。誰の人生なのでしょうか。お母さんの、お父さんの人生です。本人にとってどうなのか、それを望んでいるだろうか、苦しくはないだろうか、その人だったらどうするか、何を喜ぶかを考えると、違った見方ができます。本人の意思を尊重していないこと、じつは自分の感情を押しつけていたことが見えてきます。


 人生最後の時間を、いかに快適に過ごしてもらうか、どう楽しく生きてもらうか、と考えればいいのです。そうすると、いのちの長さを延ばすということにあまり意味を感じなくなるのではないかと思います。


 自分の感情、情念と対照的なのが、対象を能動的に把握する理性です。どうしてあげようもないならば、自分の情で考えようとするのではなく、本人のためを考える。これが理性です。感情と理性、それにより両極端に振れる老衰終末期の医療の仕方、この問題は客観的にこうすべきだと決めてかかれるものではありません。一例、一例、すべて状況が違います。そこに関わる関係者には理性もありますが感情もあります。


 家族は親との永遠の別離という、その人にとって人生の最初で最後の苦悩に向き合うのです。こうあらねばならないという決まった原則などありません。関係者がそれぞれ考え、話し合って、決めたことなら、それでよいのです。あとから振り返ってみて、繰り返し悩んで選んだこと、その悩んだことが実は心を癒してくれるのです。


 悩んで、迷って、話し合う、その時間を持つことが大事。衝突したとしても、話し合う時間を持ったということがあれば、悲しみを引きずらないで済むのです。悩み、戸惑い、苦しみながらも、みんなそれを乗り越えていくのです。

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著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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