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「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのに なぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三 音声配信中

第6回

【老衰死・平穏死の本】胃ろうは減ったけれど

2017.12.28更新

読了時間

まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
「目次」はこちら

本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■胃ろうは減ったけれど

 日本の認知症高齢者が、胃ろうをつけられて寝たきりになっていることは、海外からかなり異常な状況と見られてきました。

 ところがこの数年間の間に、認知症高齢者の人工栄養の方法として盛んに行われていた胃ろうの造設が減少してきたのです。

 消化管が機能している患者に対する人工栄養の方法として、日本で経皮内視鏡的胃瘻造設術(PEG:Percutaneous Endoscopic Gastrostomy)が行われるようになったのは、一九九〇年代後半からです。患者の身体的負担が少なく、簡単につけられることから、二〇〇〇年代に入って急速に普及しました。

 なかでも顕著になったのが、口からものを食べられなくなった重度の認知症高齢者への造設でした。

 全国津々浦々の多くの医師たちが、「胃ろうをつけなければ、栄養が摂取できなくて死んでしまう」と家族に説明しました。

 その結果、胃ろうで栄養補給をしている認知症高齢者は、全国で推定五六万人にも及びました。

 私が特別養護老人ホームの常勤医となったのが二〇〇五年、そこで知った自然な老衰死のあり方として「平穏死」を提唱しはじめたのが二〇一〇年です。それはまさに、胃ろうが全国的に広まって、老人医療の新たな常識のように言われていたときでした。

 しかしこれは、つけられた当事者にとってありがたいものになっているようには思われませんでした。私は安易な胃ろう造設に、疑問を投げかけました。

 老人医療の現実を知る一部の医療・看護関係者が、私同様、胃ろうをはじめとする経管栄養のあり方に対して疑念を口にするようになりました。

 それが、流れを変える一つの契機になったと私は思います。

 社会の意識は徐々に変わりはじめました。

 厚生労働省も動きました。二〇一四年の診療報酬の見直しで、安易な胃ろう造設を抑制するために、胃ろう手術の診療報酬が四割削減されたのです。

 胃ろうをつけることに、医療側のメリットが減ったわけです。

 その上、胃ろうをつけるには嚥下機能検査をすることが条件づけられました。これにより、「食べられなくなった=胃ろう」という流れは確実に減っています。

 実数がなかなか把握しにくいのですが、新しく胃ろうを造設することが減った結果、現在、胃ろうをつけて寝たきりになっている人は、およそ二〇万人くらいだろうとみられています。それでもまだそんなにいるのか、という気がしますが、減少していることは確かです。

 講演に呼んでいただき、私が二度目に訪ねるようなところでは、「胃ろうが減りましたよ」という話を必ず聞きます。それは積極的に変えていこうという意識をもった人たちが講演の声かけをしてくださるからかもしれませんが、全国的に変わってきたという手ごたえを感じています。

■胃ろうの代わりに起きていること

 ところが、残念なことに問題の根本はまだあまり変わっていないのかもしれません。

 胃ろうをつけなくなった代わりに、中心静脈栄養を望む家族がいるというのです。

 中心静脈栄養とは、鎖骨の下や頸にある太い静脈からカテーテルを入れて奥へ進め、中心の静脈にカルーテルの先端を留置して、そこから高カロリーの栄養液を投与する方法です。延命治療法です。しかし身体の奥の大静脈にまで管を通すため感染症を起こしやすく、ひどい場合は敗血症になります。呼吸困難や意識障害を起こし、いのちに関わる重篤な状態に陥ることもあります。

 感染症が起きたら、一度チューブを抜き、新たに別のところに入れ替えなければなりません。

 胃ろうの代わりとして、鼻から管を入れる経鼻胃管も脈々と行われているようです。

 経鼻胃管は、不快感が強い方法です。胃ろうが普及する前にはよく行われていましたが、状況が理解できない認知症の人は、気持ちが悪くて勝手にチューブを抜いてしまうことがよくありました。それを抑制するために、手が拘束されることもあって、それがしばしば問題になっていました。

 胃ろうが一気に普及した背景には、中心静脈栄養や経鼻胃管で起こるような問題が生じにくい、患者さん本人に与える負担が少ない、という利点があったわけです。

 それを、「胃ろうがよくないというなら、中心静脈栄養にすればいい、経鼻胃管にすればいい」と考えるのは、本末転倒です。ことの本質をまったくわかっていません。

 中心静脈栄養や経鼻胃管については診療点数が減っていないのがその理由になっているとしたら、これまた由々しき問題です。

 胃ろうがいけない、という話ではないのです。

 問題は、老衰が進み、もはや栄養をそれほど必要としなくなっている高齢者に対し、機械的に栄養を入れつづけることにあるのです。

 それにしても、数年前までは「胃ろうをつけなければ死んでしまう」と胃ろう一辺倒の意見が席巻していたかと思うと、今度は「胃ろうをつけることはすべて悪い」と言わんばかりのこの風潮、日本人はなぜこんなに極端から極端へと振れてしまうのでしょうか。

 老化も、認知症も、一人ひとり状況は違います。生活している環境も違います。みんな右に倣えをする必要はない、いえ、右に倣えをしてはいけないのです。

 その人にとってどういう意味をもつかをきちんと考えて判断しなくてはならないのです。

 海外では胃ろうをつけて寝たきり状態の人はほとんどいないといわれます。とくに福祉の進んでいるヨーロッパの国々では、本人が望んだわけでもないのに、胃ろうをつけられてただ“生かされている”ような状況は、本人の尊厳を無視した行為であり、虐待に等しいとみなされます。

 それが、日本では平気で行われているのです。

 なぜこのような状況になったのでしょうか。

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  • みんなの感想

    介護士です。

    特養で働いてます。
    口から栄養を取れなくなったとき、高い確率でご家族が延命を望まれます。
    チューブに繋がれ、弱って寝たきりになり会話も殆どできなくなるのに、なぜなのか本当に疑問です。
    私は自分の親には延命しないしやりたいとも思いません。
    胸が痛くて延命を希望されるご家族には憤りさえ感じます。

    返信
著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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