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よみものどっとこむ

第14回

その人にとっての幸せとは何か

2018.02.22更新

読了時間

【 この連載は… 】 まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。

本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■その人にとっての幸せとは何か

 このようなその人自身の好きなものや価値観を尊重したケアというのは、どこの施設でも在宅介護でもできることだと思います。

 それには、まず老いの衰えや認知症の進捗というものを認めることです。受け入れることです。

 そして、できないことは増えたけれども、何か別の夢の世界で生きているようだけれども、その人であることは変わりないという意識で、相手の人格を尊重して接することです。認知症の人にも昔の体験は刻まれています。

 残りわずかになったその人の人生で、何をしたら喜んでもらえるか、どうしたらいのちを輝かせてもらえるか、ということを考えてみてください。

 それは好物を食べることかもしれません。

 好きだった場所に行くことかもしれません。

 好きな音楽を聴くことかもしれません。

 お化粧をし、おしゃれをして、きれいな自分を確認することかもしれません。

 家族に囲まれることかもしれません。

 本人が喜んだり楽しんだりしてくれた瞬間があれば、家族も最期のときを納得して見送ることができます。

 生きている時間をただただ引き延ばそうとは思わなくなります。

 老いていろいろなことができなくなっても、認知症になって家族のことも自分のこともわからなくなっても、不幸で悲惨なことではありません。気持ちに寄り添った介護、そして看取りをすることで、その人の人生をハッピーエンドにできるのです。

■老人医療にもっと緩和ケア的発想を

 ホスピスケア(緩和ケア)は、がんなどの病気で終末期を迎えた人が、もはや治療を求めるのではなく、苦痛の緩和をしながら最期の時間を過ごすためのケアのことです。

 私は、この緩和ケアの発想が、もっと高齢者ケアにも広まるといいと考えています。老衰は治せないのです。あとはいかにして苦しみのない時間を過ごすかに焦点を当てるべきだからです。

 そもそもホスピスは、病院ではもう治療の術がないとされた患者さんたちの苦しみを緩和するために生まれたものです。病院では治せない、癒せない人のための場です。

 ホスピスケアの創始者、シシリー・ソンダース医師は、穏やかな死を迎えるために必要なこととして、五つの要素を挙げました。

  1. (1)一人の人格として尊重する
  2. (2)苦しみを和らげる
  3. (3)不必要、不適当な検査や治療をしない
  4. (4)家族のケア、死別の苦しみを支える
  5. (5)チームワークの重要性

 いずれも高齢者の介護の現場にこれからどんどん求められるようになることです。具体的にはどういうことか、説明していきましょう。

 一番目の「一人の人格として尊重する」、これは大事です。

 介護を必要とする高齢者、とりわけ認知症高齢者は、尊厳を無視されやすい存在です。「どうせ何もわかっていないんだろう」とばかりに、ぞんざいな扱いをされやすいからです。しかしけっしてそんなことはなく、皆さん誇りがあります。敏感に感じ取っています。

 大切なことは、お互いに同じ人間であることを認め合うこと、人格ある一人の人間として接することです。

 たとえば、私の毎朝の仕事は、一〇〇人いる入所者の方のところをまわって、朝の挨拶をすることです。医療者として、一人ひとりの顔色や様子を見て体調に異変がないかどうかをチェックしている、といえば聞こえはいいでしょうが、そんなつもりでやっていません。

「お互いに今日も無事に朝を迎えられてよかったね」という気持ちで、人間同士として朝の挨拶をしているだけです。

 入所者の方たちと私は、歳もあまり変わりません。なかには私より年下の方もいます。お互いに耳も少々遠くなっているので、大きな声で、身体全体を使って、派手に、明るく、調子よく、「おはよう」と声をかけます。

 昔、深川の芸者さんだったお婆さんは愛想がよく、朝の挨拶も上手でした。手を挙げてほがらかに「先生、いい天気ね!」と毎朝言ってくれました。

 私も笑顔で、大きな声を出して「いい天気ですね!」と言いました。外は雨が降っていても、おかまいなしです。

「何言っているんですか、今日は雨が降っているじゃないですか」なんて言おうものなら、せっかくの明るい気分は吹っ飛んでしまいます。人間にとっていちばん傷つくことは誇りを失うことです。実際の天気なんかどうでもよいのです。お互いに気持ちよく、人として朝の挨拶を交わすことのほうが大切です。

 食べる楽しみを奪うことも、尊厳を損なうことにつながることです。

 二番目の「苦しみを和らげる」。老いは安らかに逝くための自然からのギフトだという話をしましたが、老衰の人は激しい痛みや苦しみを感じなくなっています。ですから疼痛管理をするようなことはあまり必要がありません。

 医療よりは、まさにケアの質が大事です。寝たきりの人が褥瘡にならないよう、体位変換をする。経管栄養の人が溺れてしまうことがないよう、栄養を入れる量を加減する。本人が苦痛を訴えることができないだけに、ケアする側の配慮が必要になります。

 三番目の「不必要、不適当な検査や治療をしない」。よけいな医療を施さないということです。

 認知症で夢現(ゆめうつつ)の日々を生きている九〇歳の方に、CTやMRIの検査を受けさせ、がんだとわかったらどうだというのでしょうか。麻酔をかけて手術したり、副作用で苦しむことがわかっている抗がん剤を投与したりする必要はないわけです。

 もちろん、ご本人が矍鑠(かくしゃく)としていて、自分で「検査でも手術でも受ける」と言っているのなら、やればいいのです。しかし自分で意思表示のできなくなった人に、家族が医療を強いることはやるべきではないのです。

 脳梗塞なども、程度はピンキリなのです。飛んだ血栓の大きさや飛んだ場所によって、すぐに医療を受けたほうがいい場合もありますが、軽度なもので、数日以内にだんだん麻痺の程度が軽くなって収まる場合もあります。

 人生の最終章でほとんど意識のない人に起こった脳梗塞は、もう治療の対象ではありません。何でもかんでも薬を使って血栓を溶かす治療をする必要はないのです。

 そういうことを見極めないといけません。

 四番目の「家族のケア、死別の苦しみを支える」や、五番目の「チームワークの重要性」というのは、まさにわれわれがやっていることです。

 介護施設は、人生の最終章を迎えている人たちの心を支え、さらにはそのご家族の心を支える場という役目を担っています。そこで、それぞれ専門のスキルをもったスタッフたちが連携しながら協働して、人生の最終章の時間の生活の質、QOL(Quolity of Life)を上げ、幸せなエンディングに向けてお手伝いしているのです。それはやはり、チームだからこそできることです。

 どういう介護施設を選んだらいいのかと迷ったら、この五つの要素を充たしているところ、緩和ケア的な高齢者介護を実践できているところがいいと思います。

 人として、質のよい暮らしを最期まで送れることが、死の質、QOD (Quolity of Death)を高めることになっていきます。

 かけがえのないいのちとは、かけがえのない時間を積み重ねていくことではないでしょうか。

 最期までどう生きるか、それが大切なのです。

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著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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