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「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのに なぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三 音声配信中

第9回

【老衰死・平穏死の本】その医療にはどんな意味があるのか

2018.01.18更新

読了時間

まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
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本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■その医療にはどんな意味があるのか

 高齢者のがんも、動脈硬化も、原因は老化です。

 まだ人生の先があるなら、病を成敗して一回しかない人生の先へ行きましょう。簡単にあきらめるべきではありません。それがその人の人生にとって意味のあるものならば、医療費がかかってもやればいいのです。

 しかし、“生ける屍”のようになっている人のいのちを、ただもう少し引き延ばすものだとしたら、それにはどんな意味があるというのでしょう。

 ましてや、それが本人を楽にしているならまだしも、かえって苦しめているのに、なぜやるのですか。

 胃ろうにしても、胃ろうという医療技術が間違っているわけではありません。間違っているのはその使い方です。

 脳梗塞が起きて意識がない、手足が動かない、しかしMRI検査の結果は、中大脳動脈の枝の一本が詰まっただけだ。胃ろうをつけて栄養を入れ、体力を回復してしっかりリハビリにはげめば、多少の麻痺は残るかもしれないが、人生まだ先に行ける。││それでしたら、胃ろうをつけてチャレンジするのは意味のあることです。

 しかしそれを、寝たきりで意識もない人に、本人の意思があったわけではないのに、ただただやりつづけるのは疑問です。

 ちなみに、胃ろうでただ生きるのに、一人当たり年間約五〇〇万円かかります。

 日本にまだ二〇万人の方に胃ろうがつけられてただ寝ているだけだとすると、毎年一兆円の医療費がそのためにかかっている計算になります。

 同じように本人の意思を無視して押し付けられている医療に、人工透析があります。「もういい、これ以上こんなことを続けて生きていたくない」と本人が言っていたとしても、その切なる願いは無視されて、人工透析が続けられます。その場合にかかる費用も、同じく一人当たり年間五〇〇万円といわれています。

 四〇年ほど前“鉄の女”といわれたイギリスのサッチャー首相は、人工透析について、「六五歳以上の人は、やるなら自費でやりなさい」と言いました。

 それは冷たい政治判断だったでしょうか。私は冷静でまっとうな考え方だったと思います。

■老衰は治せない、老いも死も止められない

 老衰自体は「治せない」ということも考えておく必要があります。

 医学が進んで治せる病気が増え、寿命は延びましたが、老衰は治せません。さらにいえば、老いも死も止められません。

 どこまで医療に頼るか、そこに節度が求められています。日本の老人医療、終末期医療は、明らかに曲がり角に来ています。国の施策、医療や介護の制度上にも問題は多々あります。しかし同時に、われわれ一人ひとりの意識変革が必要です。日本人は、「老い」とその先にある「死」についてもっとしっかり考え直さなければなりません。

 パラダイムシフトをしなくてはならないのです。

 医学は、いまはまだ治すことのできない病気・疾患のために、最先端、最新鋭の技術に挑み続けることも重要です。

 しかしその一方で、われわれ人間はあくまでも自然の一部であることをしっかりと意識し、自然の摂理のなかでいのちと向き合う姿勢を失ってはいけません。

 どんなに素晴らしい医療ができても、生き物としての生命力を失うときがいずれ訪れ、人は死にます。

 私たちの国は、世界に先駆けて超高齢社会に突入しています。高齢者医療、介護問題の先には、高齢者多死社会が待っています。

 いかにして納得できる“よき死”を迎えるか。

 もはや治すことだけを考えるのではなく、死を見据えないといけない。死という問題から、目を背けていては駄目です。これは、医療を受ける立場も、医療を実践する立場も、ともに心がけなくてはならないことです。終末期医療の抱えている矛盾、倒錯をしっかり見据え、日本の高齢者がもっと幸せな死を迎えられるように、家族も納得のいくかたちで見送れるようにしていかなくてはなりません。

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  • みんなの感想

    匿名

    先週、延命はしないと言っていた義父(88)が、毎日1500mlの点滴と10㍑を越える酸素の中、他界しました。
    体は浮腫み、溺れて亡くなったのですね。…これは延命ではないと母は言っていた。 私の平穏死の伝え方が悪かったのか… 亡くなった時、やっと楽になったね。本当にごめんなさいと伝えましたが、もう声は届きません。
    そして母は透析をその時期が来たら、するそうです。母にとっての延命とは、人口呼吸器と心臓マッサージだそうです。。。

    返信
著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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