Facebook
Twitter
RSS

よみものどっとこむ

スポンサーリンク

「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのに なぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三 音声配信中

第10回

死をタブー視し、嫌ってきた社会

2018.01.25更新

読了時間

【 この連載は… 】 まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
「目次」はこちら

本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■死をタブー視し、嫌ってきた社会

 戦後すぐのころには、日本人の平均寿命は五〇歳そこそこでした。

 食糧事情がよくなり、衛生環境がよくなりました。

 経済が潤い、生活が向上しました。

 科学技術の発達は目覚ましいものがあり、医学も急速に進歩しました。

 国民皆保険制という医療制度に支えられ、医療の恩恵を享受しました。

 日本人の寿命はぐんぐんと延び、いまや男性八〇・五〇歳、女性八六・八三歳(二〇一四年)という長寿国になりました。

 人々は、生きることばかりを考えるようになりました。死を嫌い、遠ざけようとしました。

 死なないために病院に行きます。病院は、病気や死と闘うための場所、そこでの死は残念な敗北です。

 そういう場所で最期を迎えることになる人が増え、死はどんどん嫌なもの、来てほしくないもの、考えたくないものになっていきました。

 誰もがいつかは必ず死ぬ定めなのに、死から目を背け、日常から遠ざけようとするようになってしまいました。

 死を、いつか必ず来るもの、自然なものとして考えることをしなくなり、死に対する覚悟をしなくなりました。

 死と向き合うこと、いのちの本質的な問題と向き合うことを避ける社会になったことが、私たちを幸せに死ねなくしてしまいました。

■死と向き合わないことは幸せだったか

 死のタブー化の顕著な例に、がん患者さんの告知問題があります。

 現在では告知がかなり行われるようになりましたが、私が外科医になったころの日本の医療の考え方は、この身体に取り憑いたゾンビのような病気のことを、いかに「死につながるものではない」ように患者さんに伝えるかということに一生懸命になっていました。

 がんが見つかると、「悪性のものではないけれど、早く取ってしまったほうがいい」と言って手術をします。

「うまく取れましたよ。よかったですね」ということで退院されます。

 しかし、早い場合は一、二年で再発されてまた入院されます。

 家族には厳しい事態が来ることを話して予防線を張っても、ご本人には告知しないかたち、医者と家族が一緒になって本人に隠していたことが多かったのです。

 患者さんを死の不安に陥れてはいけない、という思いから、いずれ治るように言う。医者と家族が一緒になって本人を騙す。しかし患者さんを悲痛な気持ちにさせるときはいつか必ず来るのです。それをできるだけ先延ばししようとし、みんなで死を意識しないようにすることは、とてもうしろめたい感覚がありました。

 私の本心としては、はっきりと事実を本人に告げ、「一緒にこの病気と闘っていきましょう」と言ってしまいたかったのですが、あのころは実際にそれができる人のほうが少なかったのです。

 ご兄弟ともにお坊さんという方がおられました。お兄さんと私は以前からの知り合いでした。そのお兄さんの紹介で、胃がんになられた弟さんの手術をすることになりました。けれども、お兄さんの意見で、弟さんには告知しませんでした。

 弟さんはその後元気になられて、幸い再発もなかったので、告知しなかったことがその後に影響することはありませんでした。

 ところが、今度はお兄さんに胃がんが見つかりました。私は、お兄さんの手術も担当することになりました。お兄さんは、二年後に再発して、また入院してこられました。

 お兄さんは、弟さんのときに私たちがどういう対応をしたかをご存知なので、自分の置かれた状況に気づいておられるのではないかと私は思いました。正直に本音で話し合うべきではないかと私は考えました。ましてや相手は宗教家です。病室に行くたびに話したいと思ったのですが、結局、私は告知できませんでした。

 その方の周囲も、ご本人自身も、死を否定していることがはっきりと窺われて、私は言い出す勇気がもてなかったのです。しかし、あのとき、正面からその方の死と向き合えなかったことが、心の中でずっと気になり続けていました。

 その方の人生です。しかも宗教家だったのです。自分の人生の幕の下ろし方についてきちんと考える時間を差し上げたほうが幸せだったのではないかという気持ちは、いまだにあります。

 もしもあの時、お兄さんと突っ込んだ話ができていれば、宗教家としての死生観を聞けたのではないかと私は残念に思います。しかしそれはこちらの利己的な思いであって、お兄さんにとっては自分自身のことです。宗教家としては、すっかり超越されていたのかもしれないとも思います。でも、いえ、ですからかえって、聞けなかったことが残念でなりません。

「目次」はこちら


この本を購入する

スポンサーリンク

シェア

Share

感想を書く感想を書く

※コメントは承認制となっておりますので、反映されるまでに時間がかかります。

みんなの感想をみる

  • みんなの感想

    みわ

    今、老健にいる90歳の母が寝てばかりいるようになり、食事も食べたがらず、水分もあまり取りません。非常に痩せてしまいました。2ヶ月ほど前には好物のお寿司を沢山食べて話もし元気でした。急激な変化に驚いています。食事の最中に寝てしまうので起こして食べられそうなもの好きな飲料を仕事が休みになると持って行き食べさせようとしました。かかりつけの内科医の話では老衰であり、「食べたくなければそのままにしてあげた方が楽だし眠たければ寝させてあげて下さい。老衰で死ぬのは苦しいことではない。」と聞かされました。本人もしたいことはしたからと話していたこともあり、このまま自然の侭に看取ろうと覚悟できました。大変参考になりました。ありがとうございます。私自身もこのように死を迎えたいと思いました。今母は、肉体という服を脱いで飛び立つ準備をしているのですね。

    返信
著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

矢印