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よみものどっとこむ

第11回

父との約束を守れなかった悔恨

2018.02.01更新

読了時間

【 この連載は… 】 まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。

本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■父との約束を守れなかった悔恨

 同様に悔恨の念があるのが、私の父の最期のことです。

 父が八〇歳近くになったころのこと、私は父から言い渡されました。

「俺は糖尿病だ。いずれ心筋梗塞か脳梗塞で倒れるだろう。“よいよい”(意思表示ができないような状況)になったら、おまえ、俺によけいなことをするんじゃないぞ」

 私は約束させられました。

 数年後、父は脳梗塞で倒れました。連絡を受けて急いで帰ると、父は苦しそうにあえいでいました。呼びかけても応答はありません。母が言いました。

「呼吸が苦しそうで気の毒でたまらない。医者なんだから、お父さんをなんとか楽にしてあげて」

 姉からもせがまれました。

 父の容態を診た私は、医者として家族として「よかれ」という気持ちで父の気管切開をしました。呼吸が楽にできるようになったので、母も姉もほっとしたようでした。

 苦痛は除かねばなりません。しかし結局、父は意識が戻ることなく、経鼻胃管で栄養を補給されて六ヵ月後に息を引き取りました。呼吸が苦しそうだから苦しんでいると思ったのはこちらの思いであって、父は夢の中だったのかもしれません。

 父のことを考えるたび、私は父の意思に背いた行為をしてしまったことを思い、胸に悔恨の念が渦巻きます。子どものころから、私はいつも父の言うことを素直に聞く息子でした。だからこそ、父は私に言い残したのではなかったか。その私が最後にやったことは、父の意思に背くことだったのです。

 あのときの自分が許せないという気持ちが、いつまでも重くのしかかっています。親父との〝男と男の約束〞を破ってしまったことが、ずっと呵責として心にあります。人生の意味を考えれば考えるほど、その約束の重さを感じるのです。

「苦しそうな様子を見過ごすわけにはいかなかった。あれは医者として当然の処置だった」

「おふくろや姉貴にあんなに泣きつかれたら、何もしないわけにはいかなかった」

 約束を破った言い訳はいくらでもできます。しかし実際には、そこで家族の情から脱して、理性のもとに母や姉を説得することができなかったのです。

「親父は、『よけいなことをするな』と言った。それが親父の意思なのだから、本人の意思を尊重しよう」

 そう言いきることができなかったのです。私自身、父がこのまま死んでしまうことを受け入れることができていなかったからかもしれません。

 それでいのちの終わりを引き延ばしてしまったのです。

■「いのちは大切なもの」と考えすぎるな

 私自身の反省も踏まえて、思います。

 家族や周りの関係者は、そのときの情に流されずに、その人の人生を、その人の生き方を、尊重すべきではないでしょうか。誰の人生なのか、ということです。

「いのちは地球よりも重い」「いのちより大切なものはない」とよく言います。

 確かにいのちは大切です。しかし、いのちは大切なものと考えすぎないことです。いのちの長さを延ばすことにこだわりすぎないことです。

「いのちより大切なものはない」という考えにとらわれてしまうと、理性と感情の対立に振り回されます。当人不在の判断がなされます。

 どんないのちも、いつか必ず尽きるのです。

 死を否定していたのでは、幸せな死を迎えることはできません。

 生と死は対立するものでなく、一筋の流れのなかにあるものなのですから。

 死を怖れて目を背け、考えないようにしていると、いざというときが来たときに怯えます。

 心の準備をしていなくて、ただ「来てほしくないものが来た」と思っていると、うろたえます。

 死ぬことは生き物の必然なのだ、自然の摂理なのだ、自然にまかせれば自然の「恩寵」にあずかれるのだ、と思えれば、怖くありません。

 心の持ち方により人間としての生き方がまるで違ってきます。

 一回しかない自分の人生がいずれ終わることを意識して、残された日々を楽しみ、最期にこれでよかったと思えることが、本当に生きていることになるのではないでしょうか。

 このことを納得して、無理に延命治療にこだわらなければ、穏やかに最期を迎えることができるのです。

 大切なのはどう生きるかです。いまを大切に生きればよいだけなのです。

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  • みんなの感想

    ひろみ

    無理をさせていたんだなと反省いたしました 死んでほしく無いし何もしなかったことを責められたくないだけで 本人の事は考えていなかったのだと。 病院に行きたくない 点滴もしたくない という言葉は自分の体と話し合った結果。 70歳まだまだじゃんと思っても寿命はそれぞれ。眠るように逝ける最高の最後を邪魔しないように こちらの心も整えていきたいです。

    返信
著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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