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「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのに なぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三 音声配信中

第13回

【老衰死・平穏死の本】高齢者に必要なのは、医療よりも質のよいケア

2018.02.15更新

読了時間

まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
「目次」はこちら

本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。

■高齢者に必要なのは、医療よりも質のよいケア

 一〇年にわたって特養で高齢者の方たちと間近に接してきて思うのは、必要なのはもはやキュアではない、ということです。

 求められているのは、質のよいケアなのです。

 老衰が進むと、生活のあらゆる面で支援・介助を必要とします。そういった生活のお世話をすることですが、その中でも大事なのが心のお世話、心を支えることなのです。

 認知症になったら意思の疎通が図れないのに、なぜ心を支える必要があるのかと思われるかもしれませんが、認知症になっても、その人がその人であることは変わりません。夢の中に暮らし、神さまと語るような言葉を口にしていても、皆さん、誇りを持った一人の人間です。自分がないがしろにされていると感じると、傷つきます。

 認知症高齢者のお世話に長けている看護師や介護士は、そのあたりがじつにうまいのです。私はホームの職員たちの言動から、たくさんのことを教えてもらっています。みんな、人生の最終章にあるお年寄りたちをいきいきとさせることができるのです。

 その姿を見ると、私は「この人はここに来られて本当に幸せだったなあ」と思うのです。人生の最終章でいきいきと輝ける時間をもてた人は、心に満足感をもっていのちを閉じていくことができると思うからです。

 二例ほど紹介しましょう。

■食いしん坊ジョウさんのハッピーエンド

 七四歳のときにアルツハイマーを発症したジョウスケさん、芦花ホームでの愛称は“食いしん坊ジョウさん”でした。

 とにかく食べることが大好きで、他の人の食事まで食べてしまったり、食べ物以外のものまでパクパクとおいしそうに食べてしまったりと、食べることにまつわるエピソードに事欠かなかったのです。

 そのジョウさんも九四歳になり、嚥下機能が衰えて誤嚥性肺炎を起こすようになりました。

 病院でお約束どおりに胃ろうを勧められましたが、奥さんは「食べることが大好きな人ですから、食べられなくなったら何のために生きているかわからなくなってしまいます」と言って断りました。

 病院の医師は「それで肺炎になって死んでしまうようなことになったら、保護責任者遺棄致死罪に問われますよ」とか、「もう口から食べられないのですから、経管栄養を拒否したら餓死してしまいますよ」と執拗でしたが、奥さんの気持ちを汲んだわれわれスタッフが協力して助け船を出し、ジョウさんは胃ろうをしないまま退院して帰ってくることになりました。

 ところが、帰ってきてから二日経ち、三日経っても、何も食べようとしてくれません。いま考えると、病院に入院していた間は中心静脈栄養で高カロリー輸液がたっぷり入れられていたので、お腹が空いていなかったのでしょう。しかし、特養に帰ったら中心静脈栄養はもう続けられません。「ジョウさん、食べてくれよ」という気持ちでヒヤヒヤしながら経過を見守っていました。

 四日目の朝、ようやく口を開け、ゼリー食を少し食べだしました。みんなほっとしました。

 するとそのときに奥さんが、「うな重が大好きだったんですよ」とつぶやきました。

 この一言を聞きつけた介護主任が中心になって「よし、それならジョウさんにうな重を食べさせてあげよう」ということになりました。

 食べやすいように、うなぎの蒲焼きは包丁で細かく刻まれ、ご飯もペースト状にされ、再びうな重のような格好に盛り付けてジョウさんの前に出されました。

 するとジョウさん、食べました、食べました。とても喜んで完食です。〝食いしん坊ジョウさん〞の本領発揮でした。

 その後何回も、この特製うな重がジョウさんのために用意されました。ジョウさんがまた誤嚥性肺炎を起こすことはありませんでした。元気になりました。

 しかしそれから二ヵ月後、ジョウさんはもううなぎも食べなくなり、とろとろと眠りはじめました。そろそろそのときが近づいてきた合図です。

 そんなころのことです。介護・看護の職員たちの発案で、奥さんから日付を聞き出し、ジョウさんと奥さんの結婚記念日のサプライズ・イベントを企画しました。奥さんが朝来る前に部屋に飾りつけがされました。そして、介護士、看護師、入所者の方も混じって十数人で『てんとう虫のサンバ』を歌って、二人の五七回目の結婚記念日を祝ったのです。

 その二日後、ジョウさんは静かに逝きました。

 ジョウさんの気持ちをよく理解していて、彼らしさを全うするための決断をされた奥さん、ジョウさんのキャラクターを愛して寄り添ったスタッフたちにより、認知症高齢者である一人の男性の人生のラストは、とても明るく和やかなものになりました。

 ジョウさんの最期は、まちがいなくハッピーエンドでした。

 認知症が進んでも、人は人生をハッピーエンドにすることができるのです。

■胃ろう六年、願いが通じて奇跡が起きた

 オガタさん(仮名)は元官僚だったそうです。六〇代のときに脳出血を起こし、有料老人ホームに入所しました。その後肺炎を繰り返して病院で胃ろうをつけられました。三年ほど前に芦花ホームに来ましたが、私より年下の入所者でした。

 ご家族の話では、胃ろうをつけられて六年になるといいます。寝返りも打てません、何も言いません。どこまで何がわかっているのか、みんなよくわかっていませんでした。ただ娘さんは、「目が動いているように見える。お父さんはまだわかっている」という希望を捨てていませんでした。

 たしかに、褥瘡(じょくそう)(床ずれ)にならないようにするための体位変換のときや、経管栄養剤を時間ごとに胃ろうから入れる際、声かけに対してときおり目で追うような素振りがあり、娘さんの言うように、何か考えているかもしれないと思うことがありました。

 ある朝、ベテランの看護師がオガタさんの指が何かを指しているようだということに気づきました。

 その方向には棚があります。その棚の上のほうに、小さな缶ビールが置かれていました。それは「ビールの好きだったお父さんがまた飲めますように」という願いを込めて、娘さんが置いてあったものでした。

「あのビールが飲みたいのではないかと思うんですが、飲ませてあげてもいいでしょうか」

 看護師が尋ねてきたので、私は言いました。

「本人が望んでいるなら、飲ませてあげようじゃないか。危ないと思ったらドクターストップをかけるよ」

 聞いていた理学療法士が言いました。

「私が誤嚥しないような姿勢で座らせましょう」

 相談員は娘さんに電話しました。

 娘さんは言いました、「ぜひお願いします」。

 どこからか冷えた缶ビールが出てきました。久しぶりのビールなのだから、せっかくなら冷えたものを飲ませてあげたいと、同じものを買ってきて冷やしておいたようです。

 誤嚥を避けるために、しっかりと背中を立てて車椅子に座ってもらいました。介護士が、ビールのふたを開けて手渡しました。

 するとオガタさんは、それをしっかりつかんでじっと見つめると、ゆっくり自分の口に運んで、ゴクッ、ゴクッと飲んだのです。

 むせることもありませんでした。

 途中、自分がいま口にしたビールの缶をじっと見つめたときの力のある目つきを、私たちは忘れることができません。ぼうっと横たわっているときとは、まったく別人でした。

 ビールが飲みたかったのです。六年間ずーっと飲みたかったのです。おいしくもない、味もそっけもない宇宙食のような経管栄養で生かされることにうんざりしていたのです。

 そのときのビールはどれほどおいしかったことでしょうか。

 オガタさんは三ヵ月後に、静かに旅立たれました。

 娘さんにとって、お父さんがビールを飲んだあの日のことは忘れられない大切な思い出になったそうです。娘さんの願いがお父さんに届き、お父さんの六年ぶりの念願がかなった瞬間でした。

 理学療法士がこのときの一部始終をカメラでビデオ撮影していたので、それを国立長寿医療研究センター研究所長だった鈴木隆雄先生にお会いしたときにお見せしました。すると、こう言われました。

「医者にはまだまだわかっていないことがいっぱいありますね」

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著者

石飛 幸三

特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。 1935年広島県生まれ。61年慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院にて血管外科医として勤務する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『「平穏死」という選択』『こうして死ねたら悔いはない』(ともに幻冬舎ルネッサンス)、『家族と迎える「平穏死」 「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』(廣済堂出版)などがある。

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