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よみものどっとこむ

第94回

261話~263話

2016.12.07更新

読了時間

【 この連載は… 】 毎日数分で「東洋最大の教養書」を読破しよう! 『超訳 孫子の兵法』の野中根太郎氏による、新訳論語完全版。読みやすく現代人の実生活に根付いた超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。

261 人には信じたくないほどの悲しみも起こることがある


【現代語訳】

顔淵が死んだ。孔子先生は悲しみのあまり言われた。「天は私を滅ぼすのか。天は私を滅ぼすのか」。


【読み下し文】

顔淵(がんえん)死(し)す。子(し)曰(いわ)く、噫(ああ)。天(てん)、予(よ)を喪(ほろ)ぼすか。天(てん)、予(よ)を喪(ほろ)ぼすか。


【原文】

顏淵死、子曰、噫天喪予、天喪予、


262 普段温厚な孔子も慟哭することがある


【現代語訳】

顔淵が死んだ。葬式で弔(とむら)った時、孔子先生は悲しみのあまり身を震わせ泣かれた(慟哭された)。お供した門人たちがびっくりして、「先生が慟哭しておられる」と言った。

先生はこれを聞いて言われた。「そうか、私は慟哭していたのか。しかし、あの顔淵のために慟哭せずして、誰のために慟哭するというのか」。


【読み下し文】

顔淵(がんえん)死(し)す。子(し)、之(これ)を哭(こく)して慟(どう)す。従者(じゅうしゃ)曰(いわ)く、子(し)、慟(どう)するか(※)。曰(いわ)く、慟(どう)有(あ)らんには、夫(か)の人(ひと)の為(ため)に慟(どう)するに非(あら)ずして、誰(た)が為(ため)にせん。


(※)子、慟するか……温厚で、喜びも悲しみも中庸にすることを忘れずにいる孔子(60話参照)が慟哭する姿に門人たちは驚いた。それほど愛まな弟子・顔淵の死に深い悲しみがあったということだろう。もし慟哭することがこの世にあるとしたら、顔淵の死に接した時に出さずして、それをいつ出すことがあろうという孔子の顔淵に対する愛情の深さを表している。


【原文】

顏淵死、子哭之慟、從者曰、子慟矣、曰有慟乎、非夫人之爲慟、而誰爲、


263 質素でも心のこもった葬儀がいい


【現代語訳】

顔淵が死んだ。門人たちは、葬式を立派にしたいと孔子先生に申し出た。先生は、「いけない」と言われた。それでもやっぱり門人たちは、立派な葬式をしてしまった。

先生は言われた。「回(顔淵)は、私を父親のように思っていた。だから私も子(鯉)の時のように、心のこもった派手にならない葬式をしてやるつもりだった。それをできなくしてしまったのは、あの何人かの門人たちのせいである」。


【読み下し文】

顔淵(がんえん)死(し)す。門人(もんじん)、厚(あつ)くこれを葬(ほうむ)らんと欲(ほっ)す。子(し)曰(いわ)く、不可(ふか)なり(※)。門人(もんじん)、厚(あつ)くこれを葬(ほうむ)れり。子(し)曰(いわ)く、回(かい)や、予(よ)を視(み)ること猶(な)お父(ちち)のごとし。予(よ)は視(み)ること猶(な)お子(こ)のごとくするを得(え)ず。我(わ)に非(あら)ざるなり。夫(か)の二三子(にさんし)なり。


(※)不可なり……いけない、だめの意。孔子は「喪(そう)は其(そ)の易(ととの)わんより寧(むし)ろ戚(いた)め」(44話参照)と教えていたように、形式よりも心から悲しむことを重視した。それにもかかわらず、門人たちが立派な葬式を行い、形式主義に走ったことに対して、孔子は礼の本質に反することだと言いたかった。


【原文】

顏淵死、門人欲厚葬之、子曰、不可、門人厚葬之、子曰、回也視予猶父也、予不得視猶子也、非我也、夫二三子也、


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。著書に『超訳孫子の兵法』、『吉田松陰の名言100』、『武士道の名言100』、『真田幸村の凛とした生き方』(以上、アイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術』(誠文堂新光社)などがある。

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